物事は終わりが来るから美しい
今期で現役を引退する川崎フロンターレ 元日本代表MF中村憲剛(40)選手の引退セレモニーで、長男の龍剛君(12)が、サポーター代表で披露した手紙が話題になっています。12歳とは思えない文才と愛情表現です。中村選手は現役時代に「選手は皆、身長も体重もちがう、利き足もちがう、考え方もちがう。自分と同じ選手は一人もいない。この状況で、この選手なら、どこにどんなパスをすれば結果につながるか、常に考えながらプレーしている」と言う言葉を残しています。この言葉は、多様性を認めることや、組織のチームビルディングにもそのまま通じます。龍剛君の手紙からは、そんな中村選手のバックグラウンドを感じることができます。サッカー知識は無に等しい私でさえ注目してしまいました。今年の感謝の気持ちに代えて、愛溢れる手紙をご紹介します。
「僕は今シーズンで引退すると言われた時、夢なのか現実なのかわからないぐらい驚きました。そして、勝手にまだ先だと思っていたので自然と涙がポロポロ出てきました。でも、時間が経つにつれてお父さんの気持ちが分かりました。それがベストなタイミングなら残りの2ヶ月間を全力でサポートし、応援しようと思いました。そして、しっかりと目に焼き付けようと感じました。
中村憲剛選手の18年間のサッカー人生は出来過ぎでした。優勝もしてMVPも獲ってギネス世界記録も獲って憧れる存在でした。2008年(9月25日)に僕が生まれたけど、その2日後の柏戦のフリーキック。毎年、自分の誕生日の日、『この2日後の柏戦でフリーキックを決めたね』と。まだ0歳だったので覚えていないけど、ゆりかご(ダンス)をしてくれる写真を見て毎年うれしかったです。
成長していくとともにお父さんがサッカー選手だとわかり、自分もサッカーが好きになりました。その時点ですでに憧れていたと思います。2016年の天皇杯、2017年のルヴァンカップ、もっと言えばその前にも準優勝でシルバーコレクターとばかり言われていたけど、2017年のJリーグで逆転優勝したのでフロンターレの歴史が動いたな、と思いました。その優勝は今までの準優勝の悔しさがあってこそだなと思いました。
前十字を切った時も前向きにリハビリをしていたよね。自分は高熱を出すほどショックだったけど、お父さんだけは違った。その頑張っている姿に僕はすごい人なんだなーと毎日感じていました。コロナウイルスでクラブにも入れない、トレーナーさんにも診てもらえない。なんども苦境に立たされたけど、復帰に向けてのリハビリをする姿を見て、全身全霊でサポートしようと思いました。サポートするのも決してつらくなかったです。復帰戦が近づくにつれて楽しみで仕方がありませんでした。そして、復帰戦。301日ぶりの試合にゴールというのは一生の宝物になったと思います。
サポーターにとっての中村憲剛選手は愛される存在であって、どんな時も前に立って引っ張ってくれる素晴らしい存在でした。そして、プレーで見ている人を楽しませ、重宝される選手だったと思います。ここにいる人もここに来られなかった人も川崎フロンターレの歴史を背負って来た人だなと感じていると思うし、その歴史を変えた一人だな、と感じていると思います。
今年のフロンターレは4-3-3という形で12連勝という素晴らしい記録をつくり、勝ち点83、得点88、得失点差57という今までにない記録を叩き出しました。選手の皆さんにとってもたくさんのアドバイスをもらったり、常にお手本のようだった‘フロンターレのお父さん’のような存在が今年で引退するのはショックだったと思うし、自分もショックだったけど、やっぱり物事は終わりがいつか来るから美しくおめでたいことだと感じていました。
でも、やっぱり寂しいです。どんな時も前に立って引っ張ってくれて僕たちを楽しませてくれたこと、色々とあったけど、諦めずに頑張ったことで優勝もできて、僕たちが憧れる存在になってくれたことには感謝という気持ちしか頭にありません。悲しい時も悔しい時もともに乗り越えてきた仲間、家族として『ありがとう』と伝えたいです。引退、おめでとう。そして、ありがとう。サポーター代表 中村龍剛。