F&Aレポート

「秀康は可愛気(かわいげ)、家康は律儀」人間通に学ぶコミュニケーション

「秀康は可愛気(かわいげ)、家康は律儀」人間通に学ぶコミュニケーション

 「人間通」とは、他人の気持ちを的確に理解できる人のことをいうのだそうです。私が私淑としている「人間通」の著者である谷沢永一氏は、社会で重んじられる人になるために必要なのは、ただひとつ、他人の心がわかることといいます。「人間通」は1995年から新潮選書として刊行されていたものなので決して新しいものではありせんが、その深い人間観察は令和の世にあっても新鮮に映ります。「可愛気」の章は、現代のコミュニケーションのヒントとなりうるかもしれません。

「可愛気」

 色の白いは七難隠すと謂う。人間の欠点が覆い隠されて世の人から好意を得ることが出来る性格の急所は可愛気であろう。あいつには至らんところが多いけれど、なにしろ可愛気があるから大目に見てやれよ、と寛大に許される場合が殆どである。これに類する或いはこれに代わる長所はちょっと考えられない。才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるというだけの奴には叶わない。人は実績に基づいてではなく性格によって評価される。(中略)

 この可愛気が果たして自力で培い得るものかどうか、つまり努力目標になり得るか否かについては確たる見通しが立たない。寧ろ猿真似は危険であるから自分も可愛気のある性格になりたいなどと高望みせぬ方がよいとの自戒が一般的である。

 しかし可愛気そのものは自作自演できなくても、その一段下のところを目指すことは可能である。可愛気の次に人から好まれる素質、それは、律儀、である。秀吉は可愛気、家康は律儀、それを以て天下の人心を収攬した。律儀なら努めて達し得るであろう。律儀を磨き上げれば殆ど可愛気に近づくのである。そのため有効な近道は可愛気のある人物に近づき誼(よしみ)を通ずる手筈である。好意を以てつきあっている友人の癖はなんとなく影響する。いわんや積極的に学ぼうと努めるなら、幾分なりとも得るところがあろう。こうしてアマチュア段階の可愛気が身につくことは可能なのである。(人間通 谷沢永一著 新潮選書