「寓話」とは、世の中の真理や教訓を伝えるものです。物語の面白さに気を取られているうちに、人生や社会についての認識が深まっていくものと言われています。日本昔ばなしやイソップ童話など、子供の頃に読んだ多くの物語が、寓話であることに気づかされます。寓話は古今東西、世界各国に存在します。そして、その解釈もいろいろです。今回は、最近のベストセラー「座右の寓話」(戸田智弘著)の中から寓話と、その解釈をご紹介しますが、是非ご自身の見方や考え方と照らし合わしてみてください。
1、「三杯の茶」
石田三成はある寺の童子(寺院で仏典を習いながら雑用をする少年)をしていた。
ある日、豊臣秀吉は鷹狩りの途中、のどが渇いたのでその寺に立ち寄った。秀吉がお茶を求めると、三成は大きな茶碗に七、八分ばかり、ぬるめのお茶を持ってきた。秀吉はこれを飲み「うまい、もう一杯」。三成はまたお茶をたてて、今度は前より少し熱くして、茶碗の半分に足りない量のお茶を差し出した。秀吉はこれを飲んだ。少年の機智に感心した秀吉は、試しに「もう一杯」と言った。三成はまたお茶を立てた。今度は熱く煮立てた茶を、小さい茶碗に少しだけ入れて出した。
これを飲んだ秀吉は少年の気働きに感心し、住職に乞い求めて、小姓(武士のそばで雑用や護衛の任についた武士)として三成を使うことにした。才能を発揮した三成は次第にとり立てられて奉行職を授けられた。
<少しの気配りが自分の仕事を生む> <秀吉の目利き>
世の中のほとんどの仕事は代替可能な仕事である。しかし、そこに自分のできる範囲で気配りや機智を加えれば、それは自分の仕事になり、自分だからこそできる仕事に化ける。というのが、三成に焦点をあてた読み取り方であるが、「三成という男を見出した秀吉の逸話」という読み取り方もできる。どんな才能も、良い目利きによって見出されない限り、市井の中に埋もれてしまう。
三成の機転に気づく秀吉がいたからこそ、この寓話は成り立つのである。
2、「ゴーグルをつけろ」
イタリアのある化学プラントメーカーの話。この会社では作業中全員にゴーグル着用を義務づけていた。しかし、実際のところ幹部や現場監督が命令しても、作業員は言うことをきかなかった。「作業員の性根を叩き直す研修をしよう」「作業員ではなく、監督者が悪いんじゃないか。監督者が指導するノウハウを学ぶべきだろう」幹部の会議では、さまざまな意見が出た。悪いのは作業員か監督か。いや両方悪い。いや幹部が悪い。堂々巡りが続く中、誰かが冗談交じりに言った。「かっこいいゴーグルに変えれば、みんながつけるんじゃないか」。一人がその意見に反応した。「イタリア男にとって、かっこいいことは大事なことだ。もしかしたらいいアイデアかもしれないぞ」。「じゃあ、レイバンみたいな、かっこいいサングラス風のゴーグルっていうのはどうだ?」。「おお、いいねえ!」
試しにかっこいいおしゃれなゴーグルをつくり、ひとつの班のメンバーだけに渡してみた。すると、その班のメンバー全員が喜んでゴーグルをつけた。幹部たちは「これはいいぞ」と、かっこいいゴーグルを作業員全員に配布した。みんなが喜んでゴーグルをつけるようになったどころか、必要がない場所でもゴーグルをつけるようになった。
<問題に対する見方を変えてみる>
ある問題に直面したときの対処の仕方には「原因追求志向」と「解決探索志向」がある。前者は「問題に焦点をあてる」、後者は「どうやったらうまくいのか」を考える。
「ゴーグルをつけろ」は、原因追求志向から解決探索志向へ変わることで成功した事例である。もちろん、どちらが良い悪いというわけではない。二つのアプローチを知っていれば、問題解決の幅が広がるということだ。
同様に「エレベーターと鏡」がある。「エレベーターの待ち時間が長すぎる。改善されなければこのビルから出て行く」。こんなクレームがテナント企業から上がってきた。解決策として「エレベーターの増設」「高速エレベーターに取り替え」などが出た。いずれも莫大なコストがかかる。そんな時、ある社員が発表した。「各階のエレベーターの前に大きな鏡を置きましょう」。その通りにしたら問題が解決した。ほとんどの人が鏡を覗き込み、身だしなみや表情のチェックをするようになった。決して待ち時間が短くなったわけではないが、待ち時間を長いと感じなくなったのだ。「エレベーターの待ち時間が長い」という問題を「エレベーターの待ち時間を長いと感じる」という問題に変換したのだ。