F&Aレポート

日本語は持続可能か? 1~わかっていないことがわからないのは知性の泣きどころ

日本語は持続可能か? 1~わかっていないことがわからないのは知性の泣きどころ

 研修でも講演会でも、「何か質問はありますか」と尋ねると、たいてい何も出てこない。こちらもそれを見越して、あらかじめ小ネタを準備して質問タイムを埋める。と、いうのが通例になっています。ただ、質問がないなら全部わかっているのかというと、そうでもないようで、あとでテストをしてみると、わかっていないことが判明します。

 「東大・京大で一番読まれた本」として話題になった「思考の整理学」の著者である外山滋比古氏の「日本語の作法」には、「わからないことがわからないのは日本人の知性の泣きどころ」と説いています。(日本語の作法 外山滋比古著 新潮文庫 初版平成22年)

わかっていないことが、わからない

 新聞くらい読めなくてどうすると思っている大学生たちに、どれくらい読めているかの調査をした教師がいる。新聞の社会面のさほど長くない記事のコピーを配布。ゆっくり読ませてから引き上げ、別の用紙を配って、さきの記事のあらましを書かせた。

 概略を正しくつかんでいたのは例外的で、だいたいがあいまいなことしか書けない。ことに記事の冒頭、固有名詞の並んでいるところがもっとも混乱していた。

 おもしろいのは、あとで、よくわかったかという問いに、ほとんど全員が、よくわかっ
た、と答えたというのである。

 頭に入らないことを読んでも、わからないという自覚がない。これは、日本人の多くに
認められる欠点かもしれない。日本で教えている外国人の教師がよく嘆く。質問はないか
ときいても、ない。わかっているのだろうと尋ねてみると、まるで、わかっていない。

 日本人はわからないことがあっても平気である。質問するなんて気恥ずかしくて、、、。

 世の中の変化がはげしいから、新しいことばがあとからあとからあらわれる。新聞など
がロクに説明もしないでそれを使うから、読者には消化不良になる。あるいは時代遅れに
なったという錯覚をもつ。わかりやすい表現を大切にすることをマスコミには心がけても
らいたい。

 かつてフランスの国民会議が、外来語の使用を禁止し、使う場合はフランス語の言い換
え、説明をつけるべしという法律を作って世界を驚かせたことがある。
 フランス語のプライドということもあるが、わからないことばは用いない、というのは
あっぱれ。

 日本では、外来語、外来語もどき、カタカナ語、新造語、外国語が入り混じっていて目
が回るくらいだが、読み流しているから問題にならない。ことばはわからなくて当たり前
と思っている人もいるのではないかと思われる。

 近年は、経済用語がにぎやかだが、やはりよくわかっていない。たとえば、円高、円安。
1ドル114 円が115 円になるのがなぜ円安なのか。高いではないかなどと幼稚な誤解をす
る人が、いまだになくなっていない。そもそも変動為替相場制が導入されたときにわかり
やすいことばを作り損なったのは報道関係の責任である。

 イギリスでは新聞が、この変動為替相場制のことを、フロート(float 浮き沈み)と比
喩的に表現し、たちまち一般にも親しまれた(ガーディアン紙)。

 われわれには多くの経済金融関係の用語はわからないもの、わからなくて仕方がないも
のとあきらめているところがある。

 その弱点をついて、悪徳商法や詐欺がはびこることになる。うまい話、もうかる話だと、
わけもわからないまま乗せられてしまって、あとで泣きを見るケースがおびただしい。見
ず知らずの人間がもうけ話などもってくるはずがないという程度の常識もなければ騙され
ても仕方がないが、せめて、わからないことを聞きただすようにすれば、被害を受けずに
ずむかもしれない。わからなかったら、第三者に相談するのが実際的だ。

 わからぬことに鈍感な人間が多いから、それをいいことにして、わざとわかりにくい表
現をすることが広く行われている。たとえば、契約書。表には簡単なことしか書いていな
いが、裏に細かい字で付帯条件や制限条項が記載されている。これが大変読みにくい。あ
るいはわざとそうしてあるのかもしれない。悪文である。それでも善良な消費者は腹を立
てない。わからないことを自覚していないからだ。わからないことがわからない、という
のは、日本人の知性の泣きどころであるらしい。