ことばのちから「言葉は思考の土台」8 ~パラアスリートたちが遺したことば
中学生のとき、担任の先生に「目の見えない人に『色』を教えるのは難しい。たとえば、目の不自由な人に『青』という色を教えるとしたら、どう表現しますか?」と、訊かれたことがあります。
空の色、海の色・・・青い色を連想しましたが、それらを見たことがない人には、説明のしようもありません。目が不自由ということは、色がないということなのだと、その時あらためて、目が不自由なことの大変さや生きづらさを感じたのを今でも憶えています。
東京2020パラリンピックでは、そんな障害を持つ人たちが、挫折を乗り越えて自らと闘う姿を見せてくれました。アスリートが残した言葉には、自分らしく生きることへの執念と自らに打ち勝つ真の強さが感じられます。
1、「僕は表彰台に上がってメダルをいただいてもそれが何色か見えない。国歌を聞いた時に自分が金メダリスト、世界チャンピオンになれたんだと感じることができた」
「いつすべてがダメになっても、うろたえんぞと。負けても死なないってわかったから」
「パラリンピック選手は、五輪選手よりタイムが遅くても周りの人は自分をアスリートとして扱ってくれるし、褒めてくれる。それが悔しい」
病気で2歳のときに視力を失った木村敬一氏は、東京2020パラリンピック競泳男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)で悲願の金メダルに輝きました。表彰台で『君が代』が流れてくるのを聞いて号泣する姿には、アナウンサーも解説者も嗚咽していました。
2、「最年少記録は二度と作れないけど、最年長記録はまた作れる」
「障害や年齢に関係なく成長できることを証明したい」
「どん底に落とされてもまた登ることができる。そこから新しく歩む道はある」
「ゴールの向こうには栄光が待っている」
自転車の杉浦佳子選手は、50歳で競技に臨み、日本選手最年長で金メダルを獲得しました。杉浦氏はこの言葉を発した3日後に二つ目の金メダルを獲得し、自らの言葉を証明してみせました。二人の子供を育てる母親でもある杉浦氏。趣味のトライアスロンで5年前に自転車レースで転倒して「高次脳機能障害」と右半身マヒが残りました。事故後1週間は記憶がなく、「もう自転車には乗れない」と医者から告げられましたが、リハビリで奇跡的に回復。今後また趣味のトライアスロンに再挑戦したいと言います。
3、「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」
「パラリンピックの父」と呼ばれる、イギリスの医師ルードウィヒ・グッドマン博士(1899~1980)の名言。かつて「障害者は守られるべき存在」として生涯ベッドの上で過ごすのが当然とされていた時代に、障害者にスポーツを推奨し健常者と同等の社会復帰を目指すことを支援した人物で、この言葉がパラリンピックの精神を表していると言われています。
「思考は運命を変える」 マザー・テレサ
思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから
実際に私たちは「言葉」をつかって「思考」します。そのため「思考」と「言葉」は、どちらが先とは言えないのではないかと思います。そういう意味では「『言葉』は運命を変える」といえます。
パラアスリートの運命を変える原動力のひとつには、間違いなく魂から湧き出る「言葉」の力があったのでしょう。運命を変えるほどの力が「言葉」にはあるのです。