緒方貞子さんを偲んで「私の仕事」 世界へ出て行く若者たちへ 元国連難民高等弁務官
63歳で国連難民高等弁務官(UNHCR)としてジュネーブに赴任した緒方貞子さんが、92歳で死去され、29日に東京都内の教会で葬儀が行われました。
日本でいえば還暦を過ぎた齢で、なお世界に挑戦し貢献する日本人女性。国連という舞台で紛争、難民、平和と向き合い、現地で汗を流すその生き方は「尊敬」という言葉だけでは言い尽くせません。その信念と慈愛に満ちたリーダーシップを偲び、「私の仕事」(緒方貞子氏著 草思社)をご紹介します。
緒方貞子 私の仕事?世界へ出ていく若者たちへ(1997年)
●人間は仕事を通して成長していかなければなりません。その鍵となるのは好奇心です。常に問題を求め、積極的に疑問を出していく心と頭が必要なのです。仕事の環境に文句をいう人はたくさんいますが、開かれた頭で何かを求めていく姿勢がなければなりません。
私が国連難民高等弁務官に就任し、組織改革と職員の能力向上プログラムに取り組んでから6年半になります。私は国連機関をサービス機関だと考えています。世界に対してサービスを提供するのが役割ですから役に立つサービスをしなければ存在意義はありません。
●私が心がけているのは、現場事務所の裁量を増やすことです。任せられる裁量の大きさが仕事への動機づけになるからです。それが自ら問題設定をして取り組む姿勢につながります。裁量が少ないということは責任も少ないということで、そうなると職員は現場ではなくジュネーブの本部の方を向いて仕事をするようになります。なかには外交官気取りで、首都の事務所にどっかりと腰をおろしているだけの職員がいますが、そういう姿勢はたたき直そうというのが私の方針です。
若い職員には必ず現場に出てもらいます。ジュネーブにずっといたい、という希望は基本的に聞き入れられないし、そういう人物は採用しない。危機的状況下で決断を繰り返す経験が必要だからです。
国際機関で働きたいと思っている人だけでなく、日本のあらゆる若い世代に「何でもみてやろう」「何でもしてやろう」という姿勢を意識的に持ってもらいたいと思います。冒頭で、疑問を出していく心と頭が必要だと述べましたが、日本人は答えはきっちりと出すが、問題を出してこないという欠陥があるように思われます。
●かつて 日本外交官は「スマイリング(薄笑い)、スリーピング(居眠り)、サイレント(発言しない)」の3Sなどと言われていました。しかし、スリーピングは世界共通としても、はっきりと意見を言わずにあいまいにニコニコしているだけの日本外交官は今や見かけなくなりました。ただ、決断が遅いという傾向は今も変わらないように見えます。国際会議などで日本の外交官は、他国がどうするかを調べるのが先、という訓練を受けているようです。
コンセンサスという概念も、日本独特の捉え方をしています。コンセンサスというのは、自然に形成されるものではなく、強力なリーダーシップが引っ張って初めて、形になるものなのです。日本の教育は、平均点が極めて高い人材群を作り出します。均等に質が高い。ですが、そこに重きを置き過ぎていて、リーダーシップの育成には不向きだ。という印象を持っています。国際社会で、決まったことを実施する力において群を抜く日本が、なかなか主導権を握れず何となくもたもたした国だと見られるのは、この辺りに起因していると感じられます。
●もうひとつ、若い世代に申し上げたいことは、国際社会で言葉はとても大切だということです。しっかりとした言語能力がなければ、実りある活動はできません。自分の意思を伝えたり、用を足す手段としてだけに考えず、相手の文化を学ぶ材料だととらえるべきです。さまざまな言い回しに、その言語を生んだ文化がそのまま表れているのです。言語とは文化であることを自覚して学び、使うことが必要です。言語を通して開ける新しい世界、ひとつの文化、別の価値体系との遭遇が、遠い国の人々に対して連帯感を持つことにつながります。
(天国の緒方貞子さんに深い敬意と感謝を込めて、、、)