「扇子」と「慎み」
「暑いからといって、上の立場の人がいる前で扇子を取り出して使用することは、慎みにかけた自分勝手な振る舞いである。どうしても暑いときは、扇は少々開く程度で用いるならばよし」という、小笠原流礼法の教えがあります。
これは上の人への配慮だけではなく、周囲が誰であっても、自ら暑いという気持ちを全面に出し切らないようにという「慎み」の表れです。
小笠原流礼法では、現代においても扇子はすべて開ききらず、また扇子の風が周りの人に不快感を与えないように低い位置で用いることをすすめています。
「そんなの、扇子だけにナンセンス」という声も……?そもそも小笠原流礼法とは、室町時代、武士が社会生活を円滑にするために作られ受け継がれてきた教えです。今の時代にそぐわないと感じる一面もあるでしょう。
扇子どころか、現代ではかなり即物的ですが、手のひらサイズの「ミニ扇風機」が安価で出回っていて、いつでもどこでもスイッチひとつで涼をとることができるのですから。
ただ、「慎み」という言葉は今の時代だからこそ新鮮に響くような気がします。
「慎み」とは、感情をあらわにせず控えめに振る舞うことです。「私が、私が」と、出しゃばるのは、品性がなく他人への思いやりに欠ける行為だということです。軽はずみな言動をせず、周囲の人に対して敬意をはらうという「慎み」は、ご祝儀や贈答品など中身を大切におさめて、のしや包装紙で包む「つつむ」にも通じます。さらに「愛情を持って大事に扱う」という意味の「いつくしむ」にも通じます。公共の場での勝手な振る舞いや、SNS等での行き過ぎた表現を見るにつけ「慎み」の言葉の意味を思うこの頃です。