F&Aレポート

おすすめの一冊「女子の武士道」~女性の品格を磨く深い知恵 2

おすすめの一冊「女子の武士道」~女性の品格を磨く深い知恵 2
女子の武士道 石川真理子著 致知出版社

1.ハレの日には、かなう限りの贅沢をなさい~親族の絆を感じさせるもの

 東京の夜に灯りが戻ったのは、9月4日から5日にかけてのことでした。「灯りが灯る」ということが、どんなに喜ばしいことだったかしれません。闇は不安を、光は希望を与えるためでしょう。とはいえ、復興にはほど遠く、多くの人々が着の身着のままその日をやり過ごすような状態が続きました。

 「着物は薄汚れているし、履き物はそのへんにあるものを拾って履くから、みんな右と左が全然違う。今から思えばおかしな恰好で毎日を過ごしていたものですよ」

 
 やがて秋も過ぎ、吹きすぎる北風に年の瀬を感じるころとなりました。年末にかけて少しずつお正月の準備をする妻の姿を目にした祖父は、ある晩、こう言ったのでした。

「まさかおまえ、こんなときに正月祝いをしようというのではあるまいな」

 祖母は、そうくるだろうとわかっていました。それで、わざとけろりと「そうですよ」と言ってのけたのです。

 祖母はそのいちいちを、おとなしく聞いたうえで、「おっしゃることはようわかります。けれど、それとこれとは別問題です」と跳ね返してしまいました。

 「だからこそハレの日をお祝いせねばなりませぬ。私は何も分不相応な祝い事をしようなどとはいうておりません。かなう限りの贅沢で良いのです。そもそもお正月というのは年神様を歓迎するのですえ。単なる酒盛りではございませぬ。年神様を心から歓迎し、少しでもよきことがありますようお願いしようではありませんか。となれば旦那様の事業だとて、きっときっと成功するに決まっておりますよ」

 ふだん説得などしない妻がめずらしく揚々と話すものですから、祖父はついに「わかった、すきにせい」と逃げていってしまいました。

 こうして震災後すぐの年末年始のお祝いは、質素ながらも祖母の工夫で、家族うちそろって行われたのです。

「人間の心というのは弱いものなのです。いつでも忍耐ばかりでは、息も続かなくなるのですよ。それに、ハレの日を家族で過ごさねば、一家はまとまらぬものですよ。ふだん叱られてばかりの子ども達も、この日は無礼講にしてやらねば気の毒だからね」

 江戸時代、五節句は武家の公式行事とされていました。お節句の日は家来衆もうちそろってお祝いをすることで、団結力をさらなるものにしたと言われています。

2.一張羅は必要なものとしてきちんと用意なさい~夫の誇りを支え、覚悟を養う

 さて、元旦の朝のこと。祖父は新しい着物が用意されているのを目にして驚きました。「なんだこれは」という夫の言葉にも、「早くお顔を洗ってきてくださいませ。もうお支度ができているのですから」と、祖母は取り合いません。

 言われるままに顔を洗い、妻に促されながら新調したらしい着物を身に着けた祖父は、お正月の支度がすっかり整った部屋に出向いてさらにびっくり仰天してしまいました。

 なんと子ども達までが一人残らず新しい着物を着ているのです。これには祖父も面食らいました。「元旦早々言いたくはないが、こんな贅沢をしおって、やはり妻を叱っておくべきだったか」と眉をひそめたそうです。

 とはいえ、上座につき、きちんと正装した子ども達から「明けましておめでとうございます」と声を揃えて挨拶されれば悪い気もせず、結局、愁眉を開いて元旦のお祝いの挨拶を、例年通りはじめたのでした。

 そして、夜になってから、「かなう限りの贅沢で無理はしないと言うておったのに、一張羅を揃えるとはずいぶん散財したのではないか」と妻に問いかけたのです。

 祖母は「散財などしておりませぬ。分不相応はしないと申し上げた通りですえ」と平然と言いました。そして、それは確かにその通りだったのです。

 祖母は震災の際にあわてて手にした箪笥の預金で家族のハレの日の衣装を新調したのでした。新調したといっても、時節柄、生活のために着物を売る人が多かったため、質屋を何軒か歩けば必ず一度しか袖を通していないような、新品同様の古着が見つかったのです。それを祖母は子たち達の身の丈に合わせて仕立て直し、まるであつらえたかのような一張羅にしてしまったのでした。

「子どもであろうとも、それなりにきちんとすべき席ではきちんとせねばなりませぬからの。どんなに貧しくとも、なんとかして一張羅を揃えておくののは必要なことですよ。それは自分の見栄のためではなく、席を同じうする人への礼なのです。みなが心あらためてきちんとしているところへ、見るからにだらしのない身なりでは申し訳ありませぬからの」

 相手に不快な思いをさせないことが目的であれば、古着であることを恥じる必要もありません。古着を恥ずかしく思うとしたら、そこに見栄があるからでしょう。

 武士道では礼を重んじますが、それは表面的なものを取り繕うためではありません。「そこに誠がなければ礼など茶番だ。礼は他を思いやる心が外へ表れたものでなければならないからだ」(「武士道」PHP文庫)と断言しています。一家の長である父親に対する礼を表すために、祖母は金銭ではなく才能でのりきったのです。

 妻から最上級の思いやりをかけられることは、どれほど夫の誇りを支えるか知れません。それは、とりもなおさず一家の長として家族を守り抜こうという覚悟につながるはずです。