食器類…プラスチックのコップでウィスキー
■今回は家庭の食器について。食器は食事の味を変えるもの?子供用のプラスチック製の食器を大の大人が使って平気なこともあれば、そうでないことも。山口瞳著「礼儀作法入門」では、そこを痛快に説いています。是非ご一考ください。■
友人の家に遊びに行き、夕食をご馳走になる。そのとき、たいていは、食器類がお粗末なのでガッカリしてしまう。食卓の中央に、グラスが置いてある。これに竹の箸が十数本突き刺さっている。どれでもおとりなさいという。これでは一膳飯屋か軍隊である。
箸置きがない。仕方なく、小皿にたてかける。まことに不安定である。その小皿に鉄腕アトムの絵が描いてある。
肉が出る。その肉を盛った皿が透明であって、食卓の模様が透けて見える。刺身が出る。それが洋皿に盛ってある。ショートケーキをのせるにふさわしい洋皿である。
醤油注ぎはメーカーの名の入ったガラス製。ソースは瓶のまま。マヨネーズは、歯磨きのチューブみたいな徳用大型が立っている。
食後のウィスキーのグラスは、洋酒メーカーか乳酸菌飲料の会社の景品。そうでなくても、持ちやすい、無色の柄物ではない気持ちのいいどっしりとしたタンブラーにお目にかかることは絶無であるといっていい。
私は若い友人、新婚一年という友人、あるいは不幸続きで貧しく暮らしている友人の家庭について言っているのではない。大企業の部課長、中小企業の重役といった友人の食卓について言っているのである。友人は、ナニナニ・クラブという有名なゴルフクラブの会員である。外国製の自動車を運転する。毎晩のように宴会がある。そればかりではなく、宴席では、日本料理、フランス料理についての一家言をもち、一席ぶつという人物である。
ある友人の家に行って、それこそ、驚いて倒れそうになった経験がある。夕食を食べて行けと言われて、食堂に通された。私の前に一枚の皿があった。それだけだった。その皿は、デパートのお子様ランチのような、プラスチック製の仕切りのある皿だった。そのハンバーグ・ステーキも、焼魚も、煮物も、野菜も、さらにお新香まで、一枚の皿にそっくり盛ってある。なるほど、これなら、盛るときも洗うときも便利である。私は、心中で、こう思った。「たいへん結構だが、われわれは戦地にいるのではない」
似たような話で、嬉しい話がある。
南極越冬隊員が日本に帰ってきた。一隊員が、何が嬉しいといって、ガラスのコップでウィスキーが飲めたことぐらい嬉しいことはなかったと語った。南極では食器はすべてプラスチック製であった。そうでないと割れてしまうし、また、食べる、飲むということに関していえば、それで全て事足りるのである。事は足りるのであるが足りないものがある。この足りない部分が、私たちの日常の「生活」であり「味わい」というものなのではないだろうか。(山口瞳著「礼儀作法入門」より)