- 2024年10月の訪日外客数は、3,312,000人(日本政府観光局、10月時点)と発表されています。これまで最多数だった2019年同月比32.7%増で、10月までの累計は、30,192,600人で過去最速で3,000万人を突破したと言われています。
- 2023年3月に策定された第4時観光立国推進基本計画では「持続可能な観光」「消費額拡大」「地方誘客促進」の3つの柱が示され、旅行消費額・地方部宿泊数等に関する新たな政府目標が掲げられています。
- 私たちは今やどこの観光地を見ても、インバウンドの活況を肌で感じることができると思います。海外から見たら魅力いっぱいの日本ですが、実際日本人である私たちはどうなのでしょうか。私たちが価値を見逃してしまったかもしれない日本の慣習・文化・言葉などを折に触れ紹介しつつ、2025年は魅力再発見の「ディスカバー・ジャパン・アゲイン」にしたいと思います。
「一の宮(いちのみや)」と「一の宮巡り」
一の宮とは、平安時代のころから鎌倉時代の初期にかけて整った神社の格です。律令国に置かれた、その国で最も有力な神社を示します、
律令国とは飛鳥時代から明治時代の初めまで、設置されていた日本の地方行政区分。各諸国に、朝廷から派遣されて赴任した国司が神拝を行い、その国を代表する神社が一の宮でした。時代とともに変還もありましたが、その御祭神はさまざまで、それぞれのお国柄がうかがえます。
時を経て、一の宮の由緒を持つ神社の宮司が集まり、全国一の宮会が結成され、一の宮の御朱印帳を作成したころから、巡拝者が増えました。1998年ごろのことと言われます。
さらに巡拝者の交流会として「一の宮巡拝会」が設置され、一の宮巡拝会では全国の一の宮108カ所すべてを巡った希望者に定拝の証を頒布しています。2024年11月現在で262名が申請し、一巡目を終えたら二巡目、三巡目と全国巡りを続ける人もいるといいます。
一の宮巡りの歴史
江戸時代前期の神道家・橘三喜が諸国一の宮巡拝を行い、記録を残しています。
江戸幕府が鎖国令を出した寛永12年(1635年)に、現在の長崎県である肥前国の平戸に生まれた三喜は、神道に関心を寄せ諸国一の宮すべてを巡拝しようと志します。そして延宝3年(1675年)から元禄10年(1697年)にかけ約23年の歳月を費やして、全国一の宮と諸社寺を参拝しました。その記録を「一の宮巡詣記」全13巻として著しています。
これを契機に庶民の間に諸国一の宮参拝の気風が広まりました。しかし、当時の交通手段では諸国を巡拝することは困難で、西国三十三所、四国八十八箇所巡りのような大規模な運動には至りませんでした。
近年になって交通の便がよくなると、一の宮巡りで心身の健康と活気を取り戻そうと、全国一の宮会が結成され、全国一の宮御朱印帳を発行、一の宮巡拝会が発足しました。
一の宮はどこにある?
一の宮は、北は北海道から、南は沖縄まで全国に所在しています。北海道・東北10カ所、関東13カ所、甲信越19カ所、東海14カ所、近畿17カ所、中国16カ所、四国4カ所、九州・沖縄15カ所あり、全国108カ所となります。
北海道(蝦夷)や東北方面(津軽国、陸中国、岩代国)、沖縄(琉球国)など、平安時代のころに始まる一の宮の制度が見られなかった地域については、その地域の由緒ある神社が「新一の宮」という社格を用いて選定されています。(全国一の宮会が制定)
一の宮の巡り方と作法
一の宮巡拝の順序には特に決まりはありませんが、氏神様に参拝してから一の宮巡拝を始めるのが良いとされています。
一の宮巡拝には特別な作法はなく、一般の神社参拝と変わりません。ただ、身だしなみは整え、神社に到着したら、入り口付近にある由緒書を確認し、御祭神や御由緒などを知った上で参拝をしたいもの。
鳥居をくぐって神域に入る際には軽く一礼をし、参道では中央(正中)を避けて、拝殿に進みます。中央は神様の通り道とされているためです。手水舎で手と口を清め、拝殿での拝礼は、浅く一礼し鈴の緒を持って振りお賽銭を奉納します。中央を避けて立ち「二拝二拍手一拝」(神社によって異なる)で深く拝礼します。次回につづく(参考 ノジュール JTBパブリッシング)