F&Aレポート

広島平和記念式典 原爆の日 平和宣言と挨拶

 8月6日に行われた平和記念式典では、今年も松井市長による平和宣言に続き、岸田首相挨拶、湯崎知事挨拶、こども代表 平和への誓いが、世界に向けて発信されました。それぞれの挨拶や言葉を振り返りながら、印象に残った広島県知事 湯崎氏の挨拶をご紹介します。

<松井市長 平和宣言>昨年までは広島弁を交えて、被爆者の苦しみや体験を中心に語られていましたが、今年は「皆さん、自国の安全保障のためには、核戦力の強化が必要だという考えをどう思われますか」という問いかけからスタートし、各国のリーダーを目の前にしてダイレクトに訴える印象がありました。ゴルバチョフ元大統領の言葉を引用し、核抑止力に対する認識を問い、世界の為政者に決断を求める宣言であったと思います。昨年までとは違った趣の内容でした。

<岸田首相 挨拶>昨年までの挨拶と特に変わりなく、「核軍縮に向けた国際社会の機運を高める」という言葉で終わっています。具体的な手法は語られていません。「核兵器禁止条約にオブザーバー参加をしてほしい」と松井市長は平和宣言の中で訴えていますが、それについては一切触れられていません。

<こども代表 平和への誓い>原稿を見ることなく、まっすぐ前を向いて、二人の代表がそれぞれ交互に誓いの言葉を述べます。特に「願うだけでは、平和は実現できません」という言葉に、思いが込められていたように感じます。誓いの内容だけでなく、歩くときの姿勢や、礼をする姿も凛々しく、年々レベルが上がっているように見えます。

湯崎知事による挨拶

79回目の8月6日を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊に広島県民を代表して謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお、後遺症で苦しんでおられる被爆者や御遺族の方々に、心からお見舞いを申し上げます。(中略)

 先般、私は、数多の弥生人の遺骨が発掘されている鳥取県青谷(あおや)上(かみ)寺地(じち)遺跡を訪問する機会を得ました。そこでは、頭蓋骨や腰骨に突き刺さった矢尻など、当時の争いの生々しさを物語る多くの殺傷痕を目の当たりにし、必ずしも平穏ではなかった当時の暮らしに思いを巡らせました

 翻って現在も、世界中で戦争は続いています。強い者が勝つ。弱い者は踏みにじられる。現代では、矢尻や刀ではなく、男も女も子供も老人も弾銃で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた秩序の守護たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です

 いわゆる現実主義者は、だからこそ、力には力を、と言う。核兵器には核兵器を。しかし、そこではもう一つの現実は意図的に無視されています。人類が発明してかつて使われなかった兵器はない。禁止された化学兵器も引き続き使われている。核兵器も、それが存在する限り必ずいつか使われることになるでしょう

 私たちは、真の現実主義者にならなければなりません。核廃絶は遠くに掲げる理想ではないのです。今、必死に取り組まなければならない、人類存続に関わる差し迫った現実の問題です。にも関わらず、核廃絶に向けた取組には、知的、人的、財政的資源など、あらゆる資源の投下が不十分です。片や、核兵器維持増強や戦略構築のために、昨年だけでも14兆円を超える資金が投資され、何万人ものコンサルタントや軍・行政関係者、また、科学者と技術者が投入されています

 現実を直視することのできる世界の皆さん、私たちが行うべきことは、核兵器廃絶を本当に実現するため、資源を思い切って投入することです。想像してください。核兵器維持増強の十分の一の1.4兆円や数千人の専門家を投入すれば、核廃絶も具体的に大きく前進するでしょう

 ある沖縄の研究者が、不注意で指の形が変わるほどの水ぶくれの火傷を負い、のたうちまわるような痛みに苦しみながら、放射線を浴びた人などの深い痛みを、自分の痛みと重ね合わせて本当に想像できていたか、と述べていました。誰だかわからないほど顔が火ぶくれしたり、目玉や腸が飛び出したままさまよったりした被爆者の痛みを、私たちは本当に自分の指のひどい火傷と重ね合わせることができているでしょうか。人類が核兵器の存在を漫然と黙認したまま、この痛みや苦しみを私たちに伝えようとしてきた被爆者を一人、また一人と失っていくことに、私は耐えられません。

「過ちは繰り返しませぬから」という思いを、私たちは今一度思い起こすべきではないでしょうか。(令和6年8月6日)