F&Aレポート

別れの季節の「瀬をはやみ、、、」

 年度末から新年度へと、慌ただしく季節が巡ります。卒業や異動、転勤などで別れが多いのもこの時期の特徴です。住み慣れた環境、心通う人たち。「まだ、この場所に残っていたい」と、心の内で願っても、逆らえない大きな節目というのは、仕事にも、人生にもつきものなのでしょう。そんなときはいつも、高校時代の古典で教わった崇徳院(すとくいん)の歌が胸をよぎります。

瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思う

<訳>川の瀬の流れが早く、岩によって急流がせき止められ、二つに別れたとしても、その先では再び合流し一つになる。同様に、愛しい人と今はたとえ別れてしまっても、のちにはきっと再会し結ばれるものと信じています。

 「岩にせかるる」「滝川」「われても」など、激しい思いが感じられる恋の歌ですが、さまざまな人間関係に重ねられます。

 崇徳院(1119〜1164)は第75代天皇ですが、天皇の座をめぐり不遇な生涯を送ったと言われています。鳥羽天皇の第一皇子として5歳で天皇になるも、18年の在位の後、近衛天皇に譲位。さらに鳥羽上皇の死後、後白河天皇との間で、次の天皇にどちらの皇子を立てるかで対立し戦となり(保元の乱)、敗れた崇徳院は讃岐に流されました。

 「われても末に逢はむとぞ思う」の願いは叶うことなく、二度と都の地を踏むことはなく讃岐の地で、45歳で没しました。

 崇徳院の晩年は後白河天皇を呪い、髪やヒゲ、爪は伸び放題で恐ろしい姿になり

 「生きながら天狗と化した」と言われおり、今昔物語では西行が讃岐を訪れた際に怨霊となって現れます。

 人のご縁は人智を超えたところにあるのでしょう。春の巡り合わせが、希望多きものになりますようにお祈りいたします。