2022年令和4年も残すところ1ヵ月の12月となりました。12月は師走です。これは、師匠である僧侶がお経を上げるために東に西にと走り回る=馳せる月で、「師馳す(しはす)月」であり、この説に基づいて「師走」になったというのが平安時代からのもので、今の主流の見解です。しかし、年が果てる=終わるから、「年果つ(としはつ)」が「しはす」となったという説、四季の果てる月を意味する「四極(しはつ)」や、1年の最後になし終える「為果つ(しはつ)」を語源とする説などいろいろあって、どうも明確なものはないようです。
さて、この陰暦は日本の歴史ですが、日本人は長く続くことは良いことと考える向きが多いようです。例えば、100年企業、人生100年、100年続くことは良いこという空気があります。確かに、企業を100年も続けるためにはすごい努力が必要であり、関東大震災や太平洋戦争のような大災害を乗り切ってきた経営陣の努力は大変なものだったことは間違いないでしょう。
しかし、長く続くことは反面としてマイナス面も蓄積されることです。
日経新聞によれば、日銀が11月28日発表した4~9月期決算で、保有国債の時価評価が2013年の異次元緩和導入後で初めて簿価を下回り、含み損に転落しました(経理処理ではこの損失は計上されないことになっています)。9月末時点の簿価は545兆5211億円、時価は544兆6462億円。差額の8749億円が含み損となります。3月末時点では4兆3734億円の含み益でしたので、半年で全額が吹き飛んだことになります。市場金利が上がると、今持っている金利の低い債権の価値は下がるので、含み損が発生するという理屈です。
日銀は国債を市場から買って金利を低くコントロールすることを目的として超低金利の国債を保有しているのですが、世界的な金利圧力が日本にも及んできており、その結果ごくわずかな金利上昇が起きてしまい、国債の価値が下がる結果となってしまいました。
この国債を市場から買うという政策は、第2次安倍政権が取り組んだアベノミクスの一環=大胆な金融政策であり、日銀の黑田総裁が2013年4月から採用してきました(この話を調べていて黑田総裁と私の誕生日が同じだと分かってビックリ!)。その後、一貫して、市場から金融資産を買い続け、日銀の保有資産はかつてないものとなってしまっています。黑田総裁の記者会見を見ていると、その方針は揺るぎません。日銀が金利上昇を容認すると、その後は大変という面はありますが(金利が上がってしまうと、借入金を抱えた企業はコスト増に、国債の金利上昇は財政を圧迫します)、この9年間、政策変更の余地はなかったのでしょうか。9年間変わらない政策が意味するものは何か、その影響がこれからどうなるのか、このまま異次元と言われる量的緩和政策を維持できるのか、維持することでギャップが肥大化し、それが破裂することはないのか、それはどのようなことになるのか。100年企業を維持することも大切ですが、30年しか続かなくても新しい芽が出て新陳代謝を続ける会社にも意味があるということなのかもしれません。