12月。先月、スーツとネクタイの話をしたところですが、この秋から冬に変わる季節。特に今年は、11月後半から、それまでの初秋のような気候が晩秋、そして初冬に一気に切り替わり、厚手のコートの用意までしなくてはいけなくなりました。この天候の変化に身体がついていくのは大変です。職場でも家庭でも、無理せず、暖かく過ごしましょう。
さて、11月はパリで大変悲惨な事件が起きてしまいました。
人が人を殺す、大変悲しいことですし、人としてやってはいけないことですが、日本国内の報道を見ると、中途半端な印象を免れません。何故でしょうか。
日本人の感覚では、刑事事件においては、時代劇の水戸黄門や大岡越前のように、悪者と善者が完全に分離されます。そして、最後は善者が勝つと言うストーリーになります。しかし、今回の事件で言えば、殺した方は悪、殺された方は善、IS(イスラム国)は悪、フランス人は善という位置づけと言うことになりそうですが、世界はそのように単純ではないのです。
フランスは、テロ実行犯を抱えるISが支配するシリア国内に対して空爆を仕掛けていますが、シリアからの難民も受け入れています。また、ISが信仰するイスラム教徒の中でも、ISに対抗する人たちもいます(少数ですがキリスト教徒もいます)。イスラム信者は悪者とは言い切ることはでいません。今回のテロをめぐる闘いは、イスラム教対キリスト教のような性格も持ちつつ、米国のイラク介入による世界秩序の変化、グローバリゼーションに対する反抗等々、世界で起きる様々な問題・課題が凝縮しているように思えます。
おそらく、日本国内のマスコミは、宗教も絡んだ複雑な背景(例えば、イスラム教の原点は旧約聖書であることとか)を正確に理解できない、または両者の背景が分からないため、善悪を明確に区別することができず、目で見たものだけを報道するのだと思います。
テロの背景についてこれ以上深入りするつもりはありませんが、ここで問題にしたいのは、善悪を明確に分けて終わりにしてしまおうとする今の日本の空気のようなものです。現在の日本を取り巻く問題に関して、非常に単純な議論で終始し、自らの意見を通すことだけに注力し、対する意見に耳を貸さない。それは、マスコミの報道姿勢も同様です。しかし、世の中の出来事を単純化してしまうことは大変危険なことです。それは、歴史を振り返れば、言うまでもありません。知性に偏りすぎてもいけませんが、頭を抱えて悩む、真摯に考える、その経験を経て人は大人になり、寛容になり、平和になるのだと思います。しんどいですが、悩むことを思い出すべき時代です。