「組織は人なり」「言葉は人なり」すなわち「組織は言葉」なり 1
「組織は人なり」とはよく言われることですが、これは「人材こそが組織の財産である」という意味と、「組織は文化と風土によって自己啓発を動機づけられるから優秀な人材を育てられる」という意味もあるようです。組織風土が継続学習を当然のものとするようになると、人は成果に向けて動くようになり、自ずと成果水準が高まるというのです、
一方で「言葉は人なり」と言います。言葉は知性や思考、解釈の表れです。発せられる言葉を聞くと、その人となりがわかるということは日常においても珍しくないことでしょう。
「組織は人なり」「言葉は人なり」いずれも真であるなら、論理上「組織は言葉なり」となります。「組織」と「言葉」は次元が違うと言う方もあるかと思いますが、ここはあえて「組織は言葉なり」とし2022年のレポート10日号を発信したいと考えています。
今回は言葉の重要性について、筆者自身の失敗体験をもとに綴った「独り言を美しくする」(主婦に突然、社長の役が降ってきて)と、齋藤孝先生の言葉をご紹介します。
1、独り言を美しくする
かつてアナウンサーとして中継中にとっさに出たひと言。
「信号に『ひっかかって』遅れてしまいました」
「ひっかかった」という言葉が、自分自身の中で気になった。俗っぽい表現である。「ひっかった」でよかったのだろうか。もっと別の言い方もあったのではないか?
局に帰ってディレクターに聞くと、「信号待ちとか、渋滞とか、他にもあったかもね」と言われ、たしかにそっちの方が品がいいと思った。
後悔しても、生放送の中継なので編集もできず、オンエアされたものは一瞬のうちに消え去るのだが……。私はひどく恥ずかしかった。
言葉は身の丈。普段づかいの言葉が大事なときにそのまま現れる。そして、私たちはその普段づかいの言葉で思考している。すなわち、普段づかいの言葉こそが自分自身なのだ。
ここでいう普段づかいの言葉の最たるものは「独り言」。ビジネス言葉でもなく、友人や家族に話す言葉でもなく、ましてビジネス文書やメールで書くデスマス調のかしこまった言葉ともちがう。
心の内でつぶやいている自分自身の言葉が「独り言」なのだ。独り言を律することは、我が身を律することにつながると思う。
我が身をよりよく見せようとして、借り物の言葉を使ったとしてもそれは所詮、身の丈に合わない言葉なので、他者からみるとどこか違和感がある。ただ「こんな言葉をつかえる人になりたい。こんな言葉が似合う人になりたい」と思って、言葉通りのイメージになるよう努力するのは素晴らしいと思う。なかなか難しいことではあるが。
とりあえず、私は「信号にひっかかる」という言葉を人前で使わないように、私の辞書から消すことにした。「使わない言葉」を決めるということから、言葉を律することが始まるというのもありなのかもしれない。
2、齋藤孝先生のことば「日本語力について」
私たちは次の世代に何を資産として残していけるのか、子どもたちにどんなものを受け継いでいってもらえるのか――こう考えたとき、一番大切なのは「日本語力」だと思います。
日本語力とは、すなわち知性です。人間の考えは言葉からできています。言葉が人間の思考を決めます。つまり、日本人にとっては母語である日本語がどれだけできるのかが、どれだけ深く、そして速く思考ができるのかを決めるのです。
そのため、小学校の時代は国語が基幹科目になります。
文化庁のある審議会でご一緒した数学者の藤原正彦先生は、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数」とおっしゃっていました。
それを聞いて、「確かに」と共感しました。すべては言葉をもとにしています。だからこそ、数学者である藤原先生が算数の前に国語を置かれたのです。
そういう意味で、国語教科書として最高のものを子どもたちにプレゼントし、それを通して子どもたちに自分の一生の宝となる日本語力を身につけ、知性を身につけてもらう。
これこそ私たちが次の世代にできる最高の贈り物だと私は考えています。これからの学習指導要領による教育の方向性は、「主体的で対話的な深い学び」です。主体的というのは、自分から進んで勉強・研究することです。それに加えて、他人と対話をしながら、自分の理解を深めていくことが求められています。その読解を通して、自然と深い思考に導かれていきます。(「齋藤孝の小学国語教科書 全学年・決定版」より)