「登山型」or「トレック型」、「目標達成型」or「天命追求型」
人生100年時代、いかに働くかを考えることは、いかに生きるかを考えることに通じます。健やかな仕事観は健やかな仕事意欲を生み、健やかな仕事人生をつくっていきます。なぜ働くか、どう働くか。主体的に考え行動する時がきました。
「登山型」と「トレック型」の働き方と、「博多の歴女」白駒妃登美さんが紹介する豊臣秀吉の『天命追求型』という働き方をご紹介します。(『働き方の哲学』(村山昇著)・『人生に悩んだら日本史に聞こ』白駒妃登美著)
1、山の登頂を目指すタイプと山の回遊を楽しむタイプ
山の楽しみ方に「登山」と「トレッキング」があるように、キャリア形成もこの2つのタイプで分けてみることができます。
「登山型」のキャリア形成とは、「プロ野球選手になってホームラン王をとる」とか「弁護士になって人を助けたい」などのように、はっきりした将来像を決めてわき目もふらずそこを目指すキャリアです。
他方、「トレッキング型」のキャリアは、自分はここを目指すというような明確な目標のイメージはないけれど、いろんな部署を経験したり、転職したりしながら、さまざまな能力・経験を身につけキャリアをつくっていく形です。
それはまさに、山の中を歩き回り、たまたま見つけた滝や池にたたずんだり、道端に咲く植物を観察しながら進んでいくトレッキングに似ています。トレッキングを続けていくと、次第に山のことがわかってきて、体力や技術がついてきます。すると自分の登りたい山が見えてきて、その頂上に挑戦したいと思えるときがやってくるかもしれません。
また逆に「登山型」で登頂を終えた人がその後、山の中を回って楽しむ「トレッキング型」に切り替える場合もあるでしょう。
「登山型」と「トレッキング型」とでどちらが良いという問題ではありません。また、有名な山、高い山を目指すからいいとも言えません。大事なことは、山の中の活動を通して、山自体(=働くこと)を楽しんでいるか、豊かな体験を実感できているかです。
2、「目標達成型」と「天命追求型」
日本人の中で、彼ほどドラマティックな人生を歩んだ人もいないでしょう。お百姓さんから天下統一。豊臣秀吉です。
もともと秀吉は「天下統一」など夢にも見ていませんでした。自分の土地さえ持たない貧しい農家に生まれた秀吉は、サムライの身分に憧れていました。でも、すぐにサムライになれるわけではありません。
そんなときにチャンスが訪れます。織田信長の『小者』として奉公できるようになったのです。秀吉18歳のときだと言われています。しかし、小者とは雑用係です。「チェッ、雑用かよ」という気持ちだったならば、秀吉の人生も日本の歴史もまったく違ったものになっていたでしょう。秀吉は嫌々どころか、雑用係に採用してくれた信長に感謝し、なにをするにも自分ができる工夫を施したのです。やがて小者として認められた秀吉は足軽になります。足軽になれたことに喜んだ秀吉は、ここでもベストパフォーマンスを見せ、念願のサムライ、武士に引き上げられます。その後、部下を任され侍大将になり、やがて近江の国の長浜城が与えられます。雑用係から19年もの歳月が流れています。
秀吉が天下統一のために人生を捧げてきたのであれば、途中で息切れしていたはずです。大名になるまで19年もかかっているのですから。
秀吉は遠い未来に目標を定め「いま」をその手段としたのではなく、いつでも「いま、ここ」に全力投球だったのです。その結果、まわりから応援されて次々と扉が開いて、いつのまにか天下人へと運ばれていったのです。
人間の進化には2通りのかたちがあります。ひとつは「目標達成型」夢や目標を持ってそこに邁進していくタイプ。もうひとつは「天命追求型」。目の前にある課題に対して、ひとつひとつ力を出し切ることによって次の扉が開き、新しいステージに運ばれていくタイプ。自分から目標に向かっていくのか、まわりから運ばれていくのか、という違いです。