F&Aレポート

わくわく日本語講座5 ~「令和」の由来、万葉集 言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国(くに)

わくわく日本語講座5 ~「令和」の由来、万葉集 言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国(くに)

 5月1日新時代「令和」がスタートしました。この新年号の由来が万葉集であることは周知のことと思います。そこで今回は日本の国の成り立ちや文化の根っこと言ってもいい「万葉集」についてのおさらいをします。少しだけ万葉集を語れる人になるかも。

そもそも万葉集って?知っておきたいポイント

 神代(かみよ)より 
 言ひ(いい)伝(つ)て来(く)らく
 そらみつ 倭(やまと)の国(くに)は
 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国(くに)
 言霊(ことだま)の 幸はふ(さきわう)国(くに)と
 語(かた)り継(つ)ぎ
 言ひ(いい)継がひ(つがい)けり(後略) 
 山上憶良(やまのうえのおくら)

1、「言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国(くに)」
 万葉集には、日本が「言霊の幸う国」であると詠んだ歌が見られます。これは「言葉のもつ不思議な力が幸福をもたらす国」という意味です。

2、日本最古の歌集
 「万葉集」は、770(宝亀(ほうき)1)年頃にできた日本最古の歌集で、多くは7世紀後半?8世紀後半、飛鳥時代から奈良時代にかけて詠まれた歌から厳選したもので、選者は奈良時代の歌人 大伴家持(おおとものやかもち)といわれています。(ただし、「万葉集」の原本は発見されていません。現存する最古の写本は「桂本万葉集(かつらぼんまんようしゅう)」で平安時代に書き写されたものです)

3、天皇から罪人まで載っている歌は約4500首
 掲載された歌の作者は幅広く、天皇・皇后・貴族から一般の民衆・兵士・無名の人や罪人までさまざまです(こんな歌集は他にはないと言われています)。歌の数は約4500首に及び、20巻から成ります。

4、基本のリズムは「五・七調」
 万葉集に掲載された歌の形式はさまざまですが、短歌や長歌など、多くの歌で基本のリズムとなるのは「五・七調」です。

5、恋、死、旅、自然、朝廷 テーマはさまざま
 歌の内容は男女が恋を詠み合う「相聞歌(そうもんか)」、死者を悼む「挽歌(ばんか)」、それ以外の「雑歌(ぞうか)」に区別され、雑歌のテーマは、旅、自然、朝廷などさまざまです。

6、「令和」が引用された梅花の歌
 初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(けいぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くゆら)す

「時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」(「令和」を考案した中西進氏の著書「萬葉集 訳注 原文付」の中での訳)

 奈良時代、大宰府の長官である大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で、大伴家持自身が書いたものといわれています。当時、梅の花は中国から伝わってきたばかりの珍しいものでした。宴の場となった太宰府は、いまや古くて新しいパワースポットです。

7、万葉集といえば額田王(ぬかたのおおきみ) 二人の皇子に愛された女流歌人
 朝廷に仕え、大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の天武天皇(てんむてんのう))と結婚したが、歌の才能や、神がかり的な力を見初められ兄である中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)に嫁ぐ。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、当時の最高権力者。大化の改新の中心人物で、政治の実験を握り新しい国づくりを目指して突き進む後の天智天皇(てんじてんのう)。

あかねさす 紫野行(むらさきのゆ)き 標野行(しめのゆ)き 野守(のもり)は見(み)ずや 君(きみ)が袖振(そでふ)る(額田王)

 ここは紫草の茂る立ち入り禁止の野原。ああ番人が見ているではありませんか。そんなに袖を振ってはなりません。(袖を振る=当時の求愛行為)

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