F&Aレポート

男は楽をするとダメになる~「老舗の流儀」虎屋とエルメス

男は楽をするとダメになる~「老舗の流儀」虎屋とエルメス

長く続いてきた理由、老舗談義より 新潮社 (齋藤峰明「エルメス」フランス本社前副社長・黒川光博「虎屋」代表取締役社長)

齋藤 男性は、毎朝、何を着ようかと考えることなく「遅れちゃうからとりあえず」と、社会的な制服として、背広を着て家を出るわけです。もし、背広を着てはダメということになったら、結構困ってしまう。でも女性は毎朝、そうではないので、さぞや大変だと思います。

黒川 そうですね。ただ、着るものの幅については、男性も随分、多様化したと思います。時々「自分は古いなあ」と感じるのは、昔からある洋服の着方、つまり「コード」を崩したくないというあたりです。

齋藤 着こなしは、洋服は着物と同様、歴史の積み重ねの上に「コード」ができたという経緯があって、それは社会のルールに直結しているものです。「こういう場では、こういうものを、こういう風に着る」というルールは、社会の決まり事に基づいているわけですから、古くなったから簡単に変えていいということでもないと思います。

黒川 昔気質の方の中には、食事中は上着を脱がないという方もいらっしゃいます。私は「暑い暑い、ちょっと失礼」といって脱いでしまうのですが。しかし、食事をとっている間は上着を脱がないという姿勢に、何か美しさを感じるわけです。そして、どちらを応援すればいいのか、わからなくなってくる(笑)

齋藤 ジャケットの着脱には、もともと厳格なルールがあって、フランスでは、ジャケットを絶対に脱ぎません。東京で、在日フランス商工会議所のパーティがあった時は、誰もジャケットを脱ぎませんでしたが、在日アメリカ商工会議所のパーティに行ったら、みんなタキシードを着ているのに、食事の席になったら、平気でジャケットを脱ぎ始めた。あれには驚きました。

黒川 タキシードの場合、さすがに日本人でも、上着は脱がないですね。それでは正装の意味がなくなってしまう。

齋藤 そうです。何のための正装なのかわからなくなってしまいます。

黒川 そのあたり、フランス人とアメリカ人は、はやり大きく違うのでしょうか。

齋藤 恐らく、シャツに対する考えの違いに根ざしているのだと思います。フランス人に限らず多くのヨーロッパ人は、夏はワイシャツの下には、Tシャツなど下着を身につけないのです。一方、アメリカ人は、必ずTシャツを着ます。

黒川 ヨーロッパの人にとって、シャツは下着という感覚がまだあるとすれば、人前でジャケットを脱ぐのは恥ずかしいということにもなる。

齋藤 ぼくも日本で、皆さんがジャケットを脱いでいる場に居合わせた場合は、それに合わせますが、自分からは脱がないようにしています。そういうことでいえば、知らないからこそルールを守りきるというのもいいかもしれません。どんな相手に対しても失礼がないように、まずはルールを知っておいた方がいい。

黒川 相手あってのことなので、最低限のルールは学んだ方がいいですね。崩すのはそこからです。

齋藤 そうですね。それと大事にして欲しいと思うのは、エレガントかどうかです。エレガンスとは、自分と社会の距離をうまく保ちながら、周囲に不快感を与えないことではないでしょうか。言葉遣いやしぐさはもとより、洋服の着こなしにも表れてくる。しかも、自分の個性がないとダメなわけで、さりげなく主張しつつも押し付けない。この微妙な加減の中にエレガンスがあると思うのです。

黒川 言動や立ち居振る舞いを含め、人の有り様がエレガントを意味すると。そうなってくると、簡単にできるものでもないですね。

齋藤 かつて男性は、帽子や手袋を身につける風習があったのに、今はすっかりなくなってしまいました。あれは男性ファッションのエレガンスの象徴だったように思います。それが失われてしまったのは、先達が築き上げた価値観を崩してしまったとも言えること。もったいないですね。

黒川 ある意味、社会のルールを崩すということにもなりかねません。

齋藤 長い年月をかけて作ったものについて、否定することは構わないと思うのですが、簡単になくしてしまってはいけないと感じます。

黒川 男性の礼服で言えば、タキシードは「夜」着るものだから、午後5時前に着ないということでした。ところが、今の若い人は、平気で昼間にタキシードを着ています。でも、「タキシードは夜に着るものだぞ」と教えることが正しいのかどうかもわかならい。

齋藤 基本がわかってやっているかどうかによって、違いますね。

黒川 彼らの場合、基本のルールがわからないまま、平気で着ているのかもしれません。あるいは、最近の結婚式では、ネクタイをしていない人もいます。私は古い人間だから(笑)
新郎新婦に敬意を表すなら、それなりの服装の礼儀があると思うのですが、若い頃は、先輩たちから、服装の流儀について結構やかましく言われたものですし。

齋藤 やはり、そもそものしきたりを大切にすることが大事ではないでしょうか。スーツはイギリスで生まれた時に、理由があってあの形になっている。本来、そういった社会のルールをきちんと伝える役割として、店や家族が存在してきたのではないでしょうか。

 たとえば三越では、江戸時代から鹿鳴館の時代を経て今も、礼装を担う部署がきちんと続けています。国会議員が、海外から来賓を招いた際に、失礼のないようにと、飛び込んで相談する場所でもあった。最近は、三越で礼服を作らず、普通のファッションブティックで買う人が、明らかに増えている。一方、服を売っているひとたちも、脈々と続いてきた伝統的な作法を、自ら勉強することなく、かっこいいか悪いかで判断するだけ。

 そもそもファッションは、社会の流れとともに変遷してきた。伝統とつながっている。だから少しずつ変えたり壊したり、反抗してみるのも面白いと思いますが、一気に分断するのは良くないと感じます。

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