ノーマライゼーション
私が主催する話し方教室に、目の不自由な Tさんが入って来られました。Tさんは、ルークという名前の盲導犬と一緒に暮らしている全盲の70歳の女性です。その日もルークを連れて教室に入って来られました。私は目の不自由な人がなぜ、話し方教室に来られるのかなど、大切なことに気づきました。
~「日本語がわからなくなった」
話し方教室に通うようになった理由をTさんは、次のように話されました。
「日本語がわからなくなったんです。テレビやラジオをつけても、私の耳に入るのは、すべて“ひらがな”か“カタカナ”でしか聞こえてこないんです。たとえば“これすごくない?(コレスゴクナイ)”と聞いて、意味を理解するまでしばらく時間がかかります。時間をかけても理解できない言葉もたくさんあります。
目の不自由な人にとって、耳で聞いたものを理解するのは死活問題です。目の不自由な人が、音(声)を情報として処理できないことの焦りや恐怖はどれほどでしょうか。
その後、スピーチ練習でTさんにフィードバックをしてもらいました。他人のスピーチを聞いて、感想や意見を述べるのです。その際に、Tさんは「スピードが早くて、ところどころ聞き取れませんでした」と言われました。さらに「マイクがあると、なおさらわかりにくいです。マイクの響きによって余計に聞き取りにくくなるのです」とも。
私には、早口には聞こえなかったのですが、目の不自由なTさんが理解するには、早いスピードなのです。同じ音(声)を聞いても、聞こえ方が違うのだと気づきました。
「ノーマライゼーション」とは、健常者も障害者も区別なく社会生活ができるという社会理念です。マナー以前にもっと配慮すべき事柄があることにあらためて気づかされました次第です。目の不自由な方だけでなく、体調の悪い人や高齢者など、聞こえ方は人それぞれです。同じ世界にいても、伝わらないことは珍しくないのです。「伝わらないかもしれない」ことを前提に、伝え方を工夫するべきだとあらためて痛感しました。