凡事徹底~「知る」「できる」「身についている」→「成果を出す」
ある建設会社のユニホームの内側には「凡事徹底」という言葉が刺繍されています。そこの会社の社員は、毎日ユニホームに腕を通すたびに「凡事徹底」という文字を目にするので「凡事徹底」が、無意識のうちにも刷り込まれているのだと言います。
「凡事徹底」とは、ご存知の通り「平凡なことを徹底すると、非凡になる」という意味です。どんな高度な仕事でも、平凡なことをおろそかにしては成り立ちません。
先進技術の粋を集め、高いグレードの安全構造を確保しているスカイツリーでも、設計通りに手順を踏み、溶接や塗装などの基本の工程を経て成り立っているのです。その作業は地道で平凡なことの連続かもしれません。建築という仕事においては、平凡なことをいい加減にしていては命取りになることだってあります。だからこそ、「凡事徹底」が大切なのでしょう。
では、マナーにおける「凡事徹底」とは、どういうことでしょうか。
挨拶、身だしなみ、電話応対など、ひとつひとつは平凡なことで、誰もが「知っている」ことかもしれません。でも、それが「できている」でしょうか。さらに「身についている」でしょうか。「知っている」は、知識として理解しているだけです。「できている」は、知識に行動が伴います。「身についている」は、習慣化されていて、特に意識しなくとも自然にそれができるという状態です。
挨拶が身につくとは、いつでも誰にでも気持ちの良い挨拶ができるということで、徹底するとは、組織の誰もがそれができているということです。一見、簡単に見える挨拶ですが、徹底するのは難しいことです。徹底したときに、初めて「平凡な挨拶が非凡になる」のです。さらに、徹底したときに「あの会社はすごい!そこまでやるのか!」という信頼につながり、収益につながるのです。即ち「成果を出す」ということにつながります。
私たちは平凡なことこそ、手を抜きたくなりますが、そんな時は「気がゆるんでいる」のです。ネジを締め直して「凡事徹底」をはかりたいものです。