人間の進化「目標達成型」と「天命追求型」 日本史に学ぶ、日本人のDNAに合った夢の叶え方
■ 「ご縁」「絆」「おかげさま」これらは、外国語には訳しにくいのだそうです。ぴったり当てはまる概念がないということです。しかし、日本では古くから伝えられてきた言葉です。そこに、日本人らしさがあるのではないでしょうか。今回は日本人らしさを活かした夢の叶え方を考えてみたいと思います。
■ 「人生に悩んだら”日本史”に聞こう」を読むと、「日本人って素晴らしい!」「日本人でよかった」と素直に喜ぶことができます。決して教科書ではわからない偉人達の知恵と勇気とかっこよさを感じ、日本人であることが誇りに思えてきます。
(「人生に悩んだら”日本史”に聞こう」祥伝社/白駒妃登美、ひすいこたろう著)
豊臣秀吉が実践した「天命追求型」の人生 人生に風が吹き、「命」が「運」ばれた先。それが「運命」
日本史の中で、彼ほどドラマティックな人生を歩んだ人もいないでしょう。お百姓さんから天下統一。豊臣秀吉です。
もともと秀吉は「天下統一」など夢にも見ていませんでした。自分の土地さえ持たない貧しい農民の家に生まれた秀吉は、サムライの身分に憧れていました。でも、すぐにサムライになれるわけではありません。
そんなときにチャンスが訪れます。織田信長の”小者”(こもの)として奉公できるようになったのです。秀吉18歳のときだと言われています。しかし、小者とは雑用係です。
「チェッ。サムライになりたかったのに雑用かよ」
そんな気持ちだったならば、秀吉の人生も、日本の歴史もまったく違ったものになっていたでしょう。秀吉は嫌々どころか、雑用係に採用してくれた信長に感謝し、何をするにも自分ができる工夫を施したのです。
ある寒い日の朝、信長の草履を懐に入れて温めておいたという話は有名なエピソードです。草履ひとつ出すにも、秀吉は相手のことを考えて喜んでもらえるようにアイデアを加えているのです。
やがて小者としての頑張りを認められた秀吉は、バージョンアップして足軽になります。足軽はまだ武士ではありません。しかし、足軽になれたことに喜んだ秀吉は、ここでもベストパフォーマンスを見せ、念願のサムライ、武士に引き上げられます。武士になった秀吉は、例えばこんな工夫をしてみます。
台風で壊れた石垣の修理、普通なら1ヶ月以上かかるところを「3日で修理できます」と宣言するのです。秀吉のアイデアは、三日三晩、昼夜問わずのチーム制をしき、しかも各チームのやる気を引き出すために、早く仕上げた順に褒章額を大きくしたのです。この工夫で見事に3日でやりとげました。
そんな秀吉ですから、いよいよ部下を任され侍大将になり、やがて近江の国(滋賀県)の長浜城が与えられます。秀吉はついに城持ち大名になれたのです。
ちなみに雑用係から大名になるまで19年もの歳月が流れています。
秀吉は天下統一のために人生を捧げてきたのではないのです。もしそうだとしたら、途中で息切れしていたはずです。大名になるまでだって19年もかかっているのですから。
それに、秀吉が天下人を最初から狙っていたのなら、信長が亡くなった時にいよいよ自分の出番だと喜んだことでしょう。秀吉は本能寺の変の報に接したとき、信長の死を嘆き周囲の者が慌てるぐらい大泣きをしています。
秀吉は、遠い未来に目標を定め”いま”をその手段としたのではなく、いつでも”いま””ここ”に全力投球だったのです。秀吉は雑用係では雑用係に胸ときめかせ、足軽になってからは足軽に胸ときめかせ、自分ができることを精一杯やった。その結果、周りから応援され、次々と扉が開いて天下人へと運ばれていったのです。
人間の進化には2通りの形があります。
一つは「目標達成型」これは夢や目標を持ってそこに邁進していくタイプ。もうひとつは「天命追求型」。目前の目標に対して、ひとつひとつ力を出しきることによって次の扉が開き、新しいステージに運ばれていくタイプ。自分から目標に向かっていくのか、まわりから運ばれていくのかという違いです。
日本史を見つめ直したときに「おかげさま」の精神を持つ日本人の感性に合っているのは「天命追求型」だと思ったのです。まわりから応援されて運ばれていく、天命追求型こそ日本人の生き方、日本人の夢の叶え方ではないかと。
夢の背景には、実は、「こんな自分は嫌だ」という不満があったりします。でも、不満から発したものはどこまで行っても不満と別れられないのではないでしょうか。人は不満をもっている人ではなく、楽しんでいる人の周りに自然に集まっていくものです。
秀吉は懐で温めておいた草履を信長に出すとき、きっとワクワクしていたと思います。信長様は喜んでくれるだろうと。秀吉は雑用係を楽しんでいたのです。石垣の修理では「これを3日でやったらみんな仰天するだろうな」と、やっぱりワクワクしていたと思います。
相手の予想を越えようと工夫するとき、草履を出すという雑用ですら、楽しい「ゲーム」に変わるのです。楽しいからもっと工夫する。すると、気づいたら、自分を応援してくれる仲間に囲まれて夢にすら思わなかった天下統一までたどり着いた。
夢にすら描かなかったところへ運ばれる。これは夢を越える生き方です。
夢って言葉はステキだけど、もしかしたら、自分で自分の限界を決めてしまっているのかもしれません。でも、いつだって、あなたの可能性はあなたが描く夢よりも大きいのです。そこへ運ばれてください。
ご縁を大切に、今、ここでやれることに工夫を施す。すると、人生に風邪が吹き、思ってもみなかった場所へ運ばれます。あなたの「命」が「運」ばれた先、それがほんとうの「運命」です。
さて、あなたはどこに運ばれるのでしょう?ワクワクしてきますね。