演説が上手い人は知っている
メッセージを強く伝える―短いセンテンスを重ねる話法
■ 今回の衆議院選挙で、メディアからは毎日のように政権放送が流れた。どの候補者も限られた時間で最大限のアピールをしようと躍起になっていた。その真剣度は見ている側にも伝わったが、結局何を言ったのか、何をしようとしているのか、本当に伝えられた候補者はどのぐらいいるのだろうか。■政権放送だけでなく、街頭演説ならなおさらのこと。居合わせた人達に思いを届ける。通り過ぎる人達にもメッセージが伝わり足を留らせるには、一文は短い方がいい。「私はやります」「今の日本に必要なのは○○です」「日本の将来は△△です」など、聴衆を惹き付け演説が上手いと言われたナチス・ヒトラーや、オバマ大統領等に共通するのは、演説の中に短い一文を巧みに混ぜていること。そして歯切れがいい。日本では小泉進次郎議員が同様である。■わかっていても一文を短く言い切るには勇気がいる。自信がないと言い切れないからだ。話し方指導をしていても、最初は皆一様に一文が長い。しかしそれは訓練次第で身につけることができるスキルなのだ。
1.一文(ワンセンテンス)は、どこまでも長くなる
たとえば、「私は駅前の書店で本を買いました。」という一文があるとする。これは、「私は」が主語で「買いました」が述語の一文である。日本語は、主語と述語の間にいくらでも言葉や文章が入るという特徴がある。
「私は昨日、休日で賑わう駅前の書店で、以前から欲しかった東野圭吾のインタビュー記事が載った本を買いました。」というように。もっと長くすることもできる。
「私は昨日の午後、田中君と待ち合わせをしていたのですが、田中君から遅れるという連絡があったので、その間に休日で賑わう最近できた話題の書店”よつば図書”に行き、上司から勧められて以前から欲しかった、ベストセラー作家として有名な東野圭吾のインタビュー記事が載った1500円の本を買いました。」と。
あらたまった発言をする場合(スピーチや、会議での発表など)、意外とこのパターンに陥りがちである。
一文が長くなればなるほど、聞いている側はわかりづらくなる。即ち、主語と述語が離れるほど冗長になり、何を言いたいのかがわからなくなるのだ。
活字を読むのであれば、前に戻って読み直すこともできるが、スピーチや発表のように口頭で伝えるものは、前に戻るわけにもいかない。聞き手は集中力を失う。
2.センテンスが短いと、メッセージ性が強くなる
多くの場合、はっきりと言い切りたくない。保険をかけたい(言い訳をしたい、責任をとりたくない、自信がない)などの心理が無意識のうちに一文を長くさせている。
「私は、昨日書店で本を買いました」「最近できた駅前の書店”よつば図書”です」「休日で賑わっていました」「それは、以前、上司から勧められた本です」「ベストセラー作家として有名な東野圭吾のインタビュー記事が載った本でした」「1500円でした」と、短いセンテンスを重ねる方が、聞き手もストレスなく理解ができる。即ち、メッセージ性が強くなる。
3.演説の上手い人ほど、この効果を利用している
自分のスピーチを携帯電話などで録音して聞いてみればわかる。自分の語りが冗長になっていたら、以下のことを注意して一文を短くする習慣をつけることを勧める。