F&Aレポート

木馬も跳ねる、佳き年になる!オススメの一冊 「晴れの日の木馬たち」(原田マハ著)を読んで

 アート小説を代表する人気作家 原田マハ氏の新刊「晴れの日の木馬たち」(新潮社)。舞台は、岡山県倉敷市の紡績工場。一介の女工が文士になるというお話。お話といっても、ただのフィクションではなく史実に基づき、著者の入念な取材のもとに構成されています。

 女工といえば、貧しい農村から売られて、劣悪・悲惨な環境のもとで生涯を終えるという、「女工哀史」「ああ野麦峠」を連想しますが、そうではないのです。

 主人公「すてら(星)」は、病気の父のため、不遇な環境にもめげず、「書くこと」を諦めず、まっすぐに生きる一人の少女。紡績工場の社長で、後の大原美術館設立の祖となる大原孫三郎氏との縁により物語は展開します。

 さらに、大原孫三郎氏の人材育成、地域貢献は、今でいう「健康経営」にあたります。

「晴れの日の木馬たち」には、仕事に向かうマインドや、事業運営において見習うべき点があるだけでなく、アートや読書がよりよく生きる上で、どのような意味や価値をもたらすのかも感じられます。混迷を極める世界情勢だからこそ、教養を高め、人心を知り、世の中のさまざまな課題と対峙していきたいものです。以下、一部を抜粋しご紹介します。

寄宿舎の朝は早い

 寄宿舎の朝は早い。午前五時。カランカラン、カランカランと廊下に鐘の音が響きわたる。「ケーカク(警覚)」とともに、倉敷紡績の工女たちの1日が始まる。(一部割愛)……掛け布団を勢いよく剥がされて、反射的に「はいっ!」と答えて飛び起きる。と同時に、頭の中の帳面を開く。秘密の「作文ノオト」である。(一部割愛)……

 実際に帳面に鉛筆で描きつける時間の余裕はまったくない。が、こうして頭の中でなら、いつどこで何をしていても、自由自在に書くことができる。

人々がよりよい暮らしを送るためには「文化的活動」が欠かせない 大原孫三郎

 (紡績工場の)敷地内には「職工教育部」と呼ばれる学び舎があった。倉敷紡績の職工であれば、男女を問わず、仕事が終わったあとにこの学校で授業を受けられる。この画期的な会社付属の教育施設は、倉敷紡績の若き社長である大原孫三郎の発案で創設された。(一部割愛)……倉敷紡績社長、大原孫三郎は、社員工員たちの生活の向上のためにさまざまな策を講じ、実践していた。すてらたちが暮らしている新しい寄宿舎もその一環だったが、それに先立って、構内に尋常小学校を設立した。(一部割愛)……孫三郎には、人々がよりよい暮らしを送るためには「文化的活動」が欠かせない、という持論があった。文化的活動は個人にとっての愉しみともなり、明日への活力にもなるはずだ。(一部割愛)……

 明治44年(1911年)秋、第一回倉敷紡績文化祭は、社長である大原孫三郎の肝煎り企画として始められた。いまや日本を代表する紡績会社に成長した倉敷紡績を盛り立てるためには、社員ひとりひとりが健康かつ幸福でなければならない。若き経営者たる孫三郎は、自らの理念を事業に反映し、実践している証しとして、「文化祭」を計画したのだった。

たゆまず筆を振るい、感性を磨こう

 絵は、すてらに向かって語りかけてくるようだった。声なき声で、言葉にならない言葉で。どこかしら故郷の風景に似ていると、あの日、すてらの目にはなつかしく映ったものだ。その絵を描いた画家の名前をずっとあとになってイサが教えてくれた。フランスの画家、ポール・セザンヌというのだと。(一部割愛)……

 もちろん絵は目で見るものだが、たとえばゴッホの絵を武者小路実篤が語ると、画家その人の苦悩や情熱やひらめき、つまり、作品の背景や奥底が知れるようで、目で見るばかりでなく頭で理解し、心で感じることができる。作家の筆によって、画家への理解が深まる。だから、美術にとって「書かれる」ことは有用なのだと腑に落ちた。

 いつか自分も、本物の絵を見て、美術評論を書いてみたい。そのためにもたゆまず筆を振るい、感性を磨こうと、心中で新たな目標を立てた。

*親に捨てられたから「すて」=「すてら」。彼女が初めて書いた小説は「回転木馬」。「倉敷の父」と呼ばれる大原顎三郎の実業家としてのあり方と、すてらの奮闘は読む者を最後まで惹きつけます。