F&Aレポート

ディスカバー・ジャパン・アゲイン 万博とジャパニーズティー 〜世界が驚いた日本の「喫茶外交」1

 大阪・関西万博(2025年4月13日〜10月13日)が開催されています。万博協会は4月26日、一般来場者数が、開幕日の13日から25日までの13日間で100万人を突破し、約101万人8,000人になったと発表しました。

 そもそも万博は、世界の技術や情報・文化を知る祭典ですが、過去の万博において、日本が茶の世界進出を担い、それに伴う茶道の哲学・文化を世界に拡げたということはご存知でしょうか。

 ヨーロッパで「ジャポニズム」ブームを起こした1867年パリ万博から近代の万博まで、日本人は世界にどのように茶を紹介し売り込んだのか、あらためて知ることは、日本の伝統や文化、日本人らしさを見直すきっかけになるかもしれません。(「近代万博と茶」吉野亜湖 井戸幸一共著 淡交社

「茶」が世界を動かす

「茶」が世界を動かす、というと大げさに聞こえるかもしれませんが、世界史を見返してみると、茶は歴史に大きな影響を与えた存在でした。アメリカの独立の契機となったボストン茶会事件、中国の香港割譲のきっかけとなったアヘン戦争、大航海時代のオランダ東インド会社の活躍などに加え、イギリスの産業革命も茶がなければ労働力を確保できず、必要不可欠な存在だったといわれています。

 貿易品や嗜好品という枠組みを超えて、茶は人々の生活に大きく関わってきたのです。これからご紹介するのは、そうした歴史と合わせ、近代日本の世界との接触において、「茶」が重要な役割を果たしていたという視点です。

 急激な西洋化の荒波を受けた幕末以降、万国博覧会を通じて、日本人は茶を武器に海外と渡り合ってきました。

万博は時代を映す鏡

 万博は時代を映す鏡であると同時に、世界中の人々が集い、物と情報が行き交う一大イベントです。今の情報化社会のように海外の情報が即時に入手できなかった当時の世界において、万博のインパクトや重要性、人々の思想や生活に与えた影響は、現在の私たちが想像する以上であったでしょう。

 もちろん、国策として輸出促進こそ第一の目的でありましたが、万博において日本茶が他にどのような複層的役割を担ったのか、どのように世界に紹介されたのか。

 万博にという国際的大舞台に込められた先人たちの創意工夫や努力の足跡は、近年、日本茶の輸出が再度伸びてきている時期にあたることからも、学ぶ意義があるでしょう。

茶を通じ世界に日本を売り込む

 日本人は、茶を飲むために「茶室」や「茶庭」という特別な空間を創り上げ、独特な「茶器」の文化を形成し、世界の人々が驚くような茶文化「茶道」を生み出しました。一方、景色を愛でながら茶を楽しむという江戸時代からの「茶屋(喫茶店)」の文化も身近にありました。そうした文化的な背景を万博に持ち込むことで、海外の人々に新鮮な驚きや発見を与えました。

 近代の万博では、日本茶を庭園とセットで楽しむというフォーマットをつくり提供していました。ここで茶を飲むことで、外国の人々は「まるで日本に居るように感じた」そうです。淡味ながらも奥行きや余韻を含んだ日本茶から「日本」のイメージを形成していたのです。茶室で抹茶を飲んだアメリカの新聞記者は、日本茶を飲む時間を持つことで、理性的な判断が可能となり、社会課題への解決策へと進むのではないか、という意見を書いています。現代と同じかそれ以上に、日本茶の文化が海外で評価され、」その本質まで受け止められていたのです。

 日本人と茶の関わりは長く、1200年以上にわたります。「The Book of Tea(茶の本)」を著した岡倉天心は、「くしくも日本文化を学ぼうとする者は、茶について学ばなければならない」という名言を残しています。

 日本茶は万博において、日本の文化を紹介するという役割も果たしてきました。過去の万博で展開された日本茶の進出計画について知ることは、現代の私たちが日本文化についてあらためて知ることになるでしょう。現代の日本人の知らない日本茶の世界がそこにあるはずです。(次号につづく)