日本は第二次世界大戦で敗戦国となりましたが、幸いなことにアメリカのGHQ支配は短期間でしたし、英語を強要されることもなく済みました。地理的に日本は、アメリカとは太平洋を隔てた遠い島国であり、直接統治にはコストがかかりすぎる。その上、日本は日本語で統一された国家ですから、そこに新たに英語を植え付けていくのは至難と判断されたのでしょう。(「日本語が消滅する」山口仲美著 幻冬舎新書)
明治時代にも消滅の危機〜強国に同化政策を施されてしまった時
日本語は明治時代にも消滅の危機が忍び寄ったことがあります。19世紀に入ると、ヨーロッパ列強は、アジア地域の植民地化に乗り出しました。フィリピン、マレーシア、シンガポール、インド、スリランカ、ミャンマー、ブータン、ラオス、ベトナム、インドネシアなど、次々にヨーロッパ列強の植民地になっていきました。
その頃の日本のリーダーたちは、ヨーロッパ諸国によって植民地化されることへの危機感を強烈に抱いており、その危機感は、国防を国家の最優先課題と位置付ける主張となって現れています。1910年には、ヨーロッパ諸国は、アジアの国々の大部分を植民地化してしまいました。それを免れたのは日本とタイだけです。日本はかろうじてヨーロッパ諸国の植民地とならずに済んだ。つまり日本語は、2回も同化政策を施される危機を逃れたわけです。なお、明治時代に国防を最優先した日本が、台湾や朝鮮半島を植民地化し、日本語を押し付けるという同化政策をとってしまったことは忘れてはならない事実です。第二次世界大戦で敗北した日本は、台湾や韓国を手放しましたが、日本の同化政策は、とりわけ韓国においては日本への激しい反感を生み、現在に尾を引いています。同化政策は施してはいけない政策の一つです。言語は、その民族を支える精神的支柱でもあるからです。
最も可能性の高い消滅原因〜自発的に他言語にのりかえた時
日本語が消滅する原因として最も可能性が高いのは「自発的に他言語にのりかえた時」という内発的なものです。たとえば、日本の政治家が、日本語をやめて英語にのりかえようという政策を打ち出し、国民も世界共通語の英語にのりかえた方が、経済的、社会的に有利だと考えた時、日本語は消滅します。
明治5年(1872年)に、のちに文部大臣もつとめた森有礼(もりありのり)が、日本語をやめて英語にのりかえるという提案をしました。国語英語化論です。この案は言語学者や日本語学者の猛反対にあい、痛烈な批判を浴びました。
森の提案から70年あまり後、昭和21年にも国語外国語化論を唱えた有名人がいます。「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉です。彼は、「不完全で不便な」日本語を廃止して「世界で一番美しい言語」であるフランス語にのりかえるべきだという主張をしたのです。
志賀直哉は「城の崎にて」「暗夜行路」などを書き上げ、大いに評価されていたのですが、日本が戦争に負けて自身喪失していたところから出てきた意見とみるのが正しいでしょう。その4年後1950年には「憲政の神様」と称された尾崎行雄が、森有礼と同じく国語英語化論を提唱しています。
このように日本語をやめて外国語を使おうという主張は、明治維新直後と太平洋戦争直後の自身喪失状態の中で提案されています。
さらに、終戦から55年経った2000年。日本はバブル経済がはじけ長期不況の下で、諸外国に遅れをとってしまったと感じるようになりました。自信喪失状態です。その時期に、英語を第二公用語にしようと小渕恵三内閣の提案がなされています、これは、日本語をやめて英語にのりかえようというのではなく、日本語のほかに英語を使うようにしようというバイリンガル育成政策です。日本人が国際社会で遅れをとらないために日常的に英語も使おうという意味です。日本人は日本語と英語のバイリンガルになろうという提案です。
さて、国家がこの政策を実現するため莫大な費用を投じ、英語ができれば経済的に潤い、社会的にも上昇できるというメリットが日本国内で大々的に生じるとどうなるでしょうか。
経済的、社会的に有利な言語を前にすると、自分たちの母語を自ら進んで捨てていくという状況が生まれるのです。
国際競争に負けないため、日本が近い将来、多民族・多言語社会にならざるを得ないという課題を解決するには、果たして英語公用語論の推進がベストなのでしょうか。