昔の話で恐縮ですが、私が小学校の頃、担任の先生は「きれいな字を書くように」と、厳しく指導される方でした。
ノートや黒板、テスト用紙に書く文字は、常にチェックされていました。おかげで他のクラスと比べると、男女問わずクラス全員がきれいな字を書いていたような気がします。
先生はよく「字を書くときは集中すること。たて、横の線をまっすぐ書くように」と、言われていました。
一方で、受験の時には塾の先生に「字の美しさは関係ない、とにかく早く書け!」と、言われました。私の友人は「小学校の頃は字がきれいだったけど、大人になって汚くなった」と、言っていました。
時代は移り、今や手書きの文字を見ることは以前と比べてずっと少なくなりました。最近では宅配便の伝票だってタブレットで打ち出すことができます。字がきれいかどうかなんて議論もされなくなりました。
街頭インタビューで、若い人たちが「字がきれいな人はお年寄り。若い子は丸文字でカワイイ字を書く。字を見たら年齢がわかる」と、言って笑っていました。
確かにそうかもしれません。ただ、日本人は、「茶道」「華道」と同様に、「書く」ことに「道」を求めて、「書道」と言わしめたぐらいですから、「字」をみれば年齢だけでなく、知性も教養も人柄まであぶり出されることもあるのでしょう。
まさに、「字は体を表す」です。言葉に魂が宿る「言霊」があるように、文字には「文字霊(もじだま)」があります。文字霊は一生ついてくるものです。
冠婚葬祭の芳名録から、日常のちょっとしたメモ書きなど、字をみれば当人の顔が浮かぶこともしばしば。美しくなくても、せめて他人が読めるように書きたいと思う今日この頃です。