F&Aレポート

2つの「広島」の物語~北海道 新球場で蘇る開拓の記憶

 2023年6月、「エスコンフィールド北海道でカープを応援したい!」と、飲み会の席で盛り上がった話があっという間に実現し、いつものメンバーではるばる北海道視察へGO! 「北広島市」の名に親近感を覚えつつ、新球場の素晴らしさに目を凝らし、勝ち試合に興じた観戦。それからおよそ1ヶ月後、日経新聞には「北広島市」と「広島市」の開拓について紹介した記事が掲載されました。

「ああ、この記事にもっと早く出会っていれば、開拓の歴史に触れ、もう少し教養高い視察になったのに…」と悔やみつつ我が身を恥じました。「広島」「北広島」に限らず。どこの地であれ入植、開拓の歴史には、国家があり、民の血と汗と涙があります。先人の絶えない歩みがあったからこそ、私たちは命を授かり、不自由もなく、今に至っています。

 次回、訪問した暁には必ず散策し、先人の魂に手を合わせたいと思います。日経新聞(7月2日付 和歌山章彦)の記事を抜粋してご紹介します。


 プロ野球 日本ハムの新本拠地「エスコンフィールド北海道」(北海道北広島市)で6月上旬、広島カープを迎え、交流戦3連線があった。カープファンで真っ赤に染まったビジター応援席を、万感の思いで見つめる人がいた。同市の元コメ農家、藤川隆志さん(93)である。

 当地は明治17年(1884年)に広島県から移住した25家族が苦労の末、開墾した。藤川さんの曽祖父は、開拓第一陣から5年後に広島市から入植した。北海道の市町村名の多くがアイヌ語に由来する。が、ここは安芸国の人々が試行錯誤で稲作を成功させた土地だ。ゆえに<北の広島>なのだ。

「開拓者はこのようににぎわう郷土を想像したでしょうか」

 今年の公示価格で、北広島市は住宅地、商業地とも上昇率全国1位を記録した。人口6万人足らずの北の街は今、新球場開設に伴うインフラ整備の槌音が響く。藤川さんは、原野にクワを入れた曽祖父に始まる家族の130年あまりの歴史を語ってくれた。

 曽祖父は北海道移住に先立ち、ハワイに出稼ぎに赴いた。信仰心があつく、進取の精神に富む人だったらしい。もし、彼が入植しなかったら……。切実な思いにかられることがある。

 爆心地から北に約4キロ。藤川家の祖先の菩提寺は、広島市安佐南区の浄土真宗の古刹だ。墓所を訪ねると<昭和20年8月6日 原爆死>の石碑があった。3人の名が刻まれている。その一人は、才女が集う県立広島第一高等女学校の1年生。あの日の朝、同市中心部で空襲による延焼を防ぐ「建物疎開」に学徒動員され、熱線を浴びた。同年代の類縁の少女は、戦後の平和と繁栄を見ることなく没したのだ。

 新球場の周辺には、広島県とのゆかりや、開拓の苦難の歴史をとどめる場所が多く残る。北広島市北部の山林に、当地で最古とみられる小さなお地蔵様がある。<明治18年12月11日 みな女>と刻まれていた。みな、という名の幼女の死を悼み、両親が建立したのだろうか。女児の死の前年は凶作で、人々は賃仕事で寒さと飢えをかろうじてしのいだ。

 球場にほど近い国道沿いに<行幸橋>というバス停がある。遠い昔は<見捨て橋>と呼ばれた。北海道に渡ったまま行方知れずになった夫を捜しに来た身重の妻が、橋のたもとで出産。母子ともに凍死した、との悲話が伝わる、<みすて>は響きが悪い。いつしか<みゆき>に転じ、その後、天皇の外出を意味する<御幸>と同義の<行幸>へと名称が変わった。そんな口承伝承がある

 球場近くの公園の石柱に、炎がともされていた。広島市の平和公園の<平和のともしび>を分火した。同胞の痛みを分かち合おうと、人々は原爆忌に鎮魂の祈りを捧げる。
 だが、遠路、広島県から訪れたカープファンの多くが、歴史遺産を知らずに素通りする。もったいない。
 広島県は明治以降、北海道のほか、ハワイなどへ全国屈指の移民を送った。なぜか。諸説あるが、広島県が編さんした「広島県移住史」に興味深い論考がある。以下に要約する。
 広島県に多い浄土真宗門徒は、殺生を戒め、堕胎や口減らしを忌避した。その結果、人口増加を招き、暮らしは厳しくなった。そこで新天地に活路を求めたのだ。彼らには「正直」「忍耐」などの徳があり、入植先でも骨身を惜しまず働いた。移民が成立した背景とは何か。
「真宗門徒の信仰とその行動様式(エートス)を精神的基礎としていることは明らかである」と本書は結ぶ。

 北広島市と広島市が互いの収蔵品や先人たちの文献を持ち寄り、<移民のエートス展>を共催したらどうか。軍都・広島市の基礎となった旧宇品港の築港は明治維新で困窮した士族を救済する公共事業であり、北海道移住も貧しさからの脱却という目的があった。軍都を襲った悲劇と、新天地を求めた開拓民の困難…。

 2つの「広島」の物語は、近代日本の民衆史を照らす格好の教材となるはずだ。米映画「フィールド・オブ・ドリームス」では、野球場が過去の人々の肉声を蘇らせる媒介となる。北の新球場にも、そんな不思議な力が宿るのかもしれない。