F&Aレポート

戦争をやめた人たち 2~戦場でほんとうにあった奇跡のような実話

広島市平和記念公園では、8月6日原爆記念式典に向けての準備が進んでいます。慰霊碑前には、世界各国からの参列者のため白いテントがいくつも張られ、放送局の機材なども設営されています。戦後78年を迎える今年の式典も例年以上に暑くなりそうです。

(前回のつづき)今から100年以上前の1914年7月。第一次世界大戦が始まりました。国境近くで敵軍と向かい合う「ざんごう」では、厳しい寒さと飢えに耐えながら来る日も来る日も敵と戦っていました。ある夜、敵国のざんごうから歌声が聞こえてきました。言葉はわからなくとも、それは聞き覚えのあるクリスマスのメロディでした。それぞれのざんごうで、それぞれの国の言葉でクリスマスの歌を歌うと、敵のざんごうからパチパチと拍手の音が聞こえてきました。フランスやベルギーに攻め込むドイツ軍と、迎え撃つイギリス軍の最前線で、12月24の夜に本当に起こったことです。(戦争をやめた人たち 1914年のクリスマス休戦 鈴木まもる 文・絵

両方のざんごうから、暗い夜に、いろいろなクリスマスの歌が流れていった翌日、12月25日、クリスマスの日の朝。ドイツ軍のざんごうを見張っていた兵士が叫びました。「敵だ!」
若い兵士は、とびおき、銃を構えました。でも、なにかいつもと違います。手を振っているようです。相手の兵士は、手を振って、こちらにも出てくるように誘っているようです。
ひげの兵士が「大丈夫か?撃たれるんじゃないか?」と言いましたが、若い兵士は銃を置くと、自分も両手をあげ、ざんごうを出て歩き始めました。
ドイツ兵が手をあげ、ゆっくりとこちらに歩いてきます。若いイギリス兵も手をあげ、ゆっくり歩いていきます。少しずつ少しずつ、二人は近づいていきました。相手の顔が、はっきり見えるようになりました。相手の目の色や、吐く息の白さ、冷たい風になびく髪の毛の色までわかるほど近づきました。

ドイツ兵が、あげていた右手を下げ、前に出しました。若いイギリス兵も右手を出しました。
「メリー・クリスマス」二人は、がっちりと握手をしました。
「ぼくの名前は、ジョン」「ぼくは、ハンス。よろしく」

ざんごうにいた他の兵士たちも、みな出てきました。もちろん、銃は持っていません。
みな口ぐちに、「メリー・クリスマス」といって、握手して、嬉しい気持ちを伝え合いました。
クリスマスの歌を、また一緒に歌ったり、身振り手振りで、相手を褒めあったりしました。
奥さんの写真や、子どもの写真を見せる人もいます。ざんごうから食べ物やお酒を持ってきて分け合い、一緒に食べ始める人もいます。鉄兜を交換する人。記念に写真を撮る人。
床屋だった人は、のびた髭を剃ってあげたり…。隊長どうしも「しょうがないな」と苦笑いしながら乾杯しています。

若い兵士は、着ていた上着を丸め、ひもでぐるぐる縛りました。そして…。
サッカーが始まりました。ゴールは、その辺の棒を立てただけです。でも、それで十分です。
ボールを追い、ドリブルして、ゴールに蹴りました。夕方になりました。自分たちのざんごうに帰らなければなりません。皆、笑いながら握手をして、また会うことを約束して…。
それぞれのざんごうへ、帰っていきました。

1914年12月25日、クリスマスの日に、イギリス軍とドイツ軍が戦場でサッカーをしたという本当にあった話です。戦場のほかの場所でも、同じようなことが、いくつもあったそうです。

でも残念ながら、これで戦争は終わりませんでした。クリスマスが終わると、また戦争は始まり、鉄条網は張り直され、このあと4年間も続きました。
でも、ここでクリスマスを祝った兵士たちは、もう、銃で撃つことはせず、命令されると銃を少し上に向け、空に向かって撃ったそうです。大きな攻撃作戦があるときは、相手に知らせ、気をつけるよう伝えたそうです。
一緒に笑い、あそび、食事をし、友達になったから、相手にも故郷があり、家族や子どもがいることがわかったからです。国を大きくするために戦争をするより、大切なものがあることがわかったから、この人たちは、戦争をやめたのです。  おわり

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