ことばのちから「言葉は思考の土台」4 初夏の歳時記より
前回のレポートでご紹介した「ナレッジ」「タスク」「サスティナビリティ」などの「カタカナ用語」は、先進的でカッコよく耳に響く言葉かもしれませんが、私たちの祖先の感性が生み出した
日本語の味わいにも触れてみたいと思います。
歳時記には、季節の行事に加え、時候、天文、宗教、人事、植物などが解説してあります。もとは奈良時代に中国から伝わったものとされていますが、江戸時代以降に「日本歳時記」としてまとめられたといわれています。
折しも5月5日は「立夏」、コロナ感染で世界が右往左往している間に季節は早くも夏を迎えました。新緑の季節でもある「初夏」には、この季節ならではの瑞々しい言葉がたくさんあります。
「五月晴れ(さつきばれ)」
「さつきの鯉の吹き流し 腹に一物なし」という句があるますが、「五月晴れ」には爽やかなイメージがあります。ただ、本来の意味は五月雨、梅雨の合間の晴れた空をさす言葉と言われています。
この季節の晴れ間には是非、「いい天気ですね~」よりも「五月晴れですね~」と言ってみたいものです。
「若葉」「青葉」「新緑」「深緑」「萬緑」「緑陰」「緑の景」
木々の緑を表すだけでもこれだけ(これ以上)の言葉があります。いずれも文字からどの程度の緑なのか、日本人ならなんとなく想像できるでしょう。黄緑色の若葉からだんだんと濃い緑になり、むせ返るほどの茂る緑が脳裏に浮かんできます。そんな緑の木々の葉を抜けるように強く吹く南風を「青嵐」「夏嵐」といいます。
「薫風(くんぷう)」
「かぜかおる」ともいわれる「薫風」もこの時期の言葉です。緑の香りをたっぷりと含んだ、すがすがしい初夏の風。深呼吸すると、それだけで体の中にエネルギーが満ちてくるようなそんな風が「薫風」です。
「立てば芍薬、すわれば牡丹、歩く姿は百合の花」
これは美人を形容する言葉です。また、花のように所作の美しい女性のことをいいます。細くすらりと伸びた茎の先端に美しい花を咲かせる芍薬。その香りも優しく、フランスではしなやかな香りのするワインを「芍薬のような香り」というそうです。
また、牡丹の花自体は芍薬とよく似ているのですが、芍薬は草で牡丹は木。牡丹は枝分かれした横向きの枝に花をつけるために、まるで座っているかのように見えます。鑑賞するときも座った方がきれいに見えます。中国では花の王と呼ばれ、華やかさの象徴とされています。
百合はしなやかな茎の先にややうつむくように花が咲きます。風を受けて揺れる様子が、女性が優美に歩いているように見えるということです。甘い花の香りは香水としても人気があります。
5月初旬から「牡丹」「芍薬」「百合」と、リレーするように順に見頃を迎えます。座っている美人が立ち上がって歩き出すという、姿形だけでなくその行為や立ち居振る舞いが美しいというのも頷ける言葉です。
「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」
どちらも優れていて優劣がつけにくいことのたとえ。源頼政が怪しい鳥を退治した褒美として、菖蒲前という美女を賜るときに十二人の美女の中から選び出すように言われて詠んだ歌ともいわれています。
言葉にはエネルギーがあります(言霊)。一年で最も美しい季節を表す日本語のパワーにあやかり、健やかに過ごしたいものです。