F&Aレポート

方言と標準語~標準語は日本政府がつくった/方言は命に関わる

方言と標準語~標準語は日本政府がつくった/方言は命に関わる

 方言は今、あまり使われなくなっていますが、方言にはその土地のものの見方や捉え方、精神性などが反映されています。方言には、標準語では表現しきれないニュアンスが含まれます。その表現できない細やかな感性みたいなものが、その土地の特徴でもあるのです。たとえば、広島弁の「たいぎい」。標準語でいえば「だるい」「面倒」「うっとおしい」などが近いのですが、どれも言い得ているようで言い得ていません。「駅まで歩くのはたいぎいよ」「10,000円も払うのは、たいぎいね」なんて、使い方をするのですが…。

 作家の井上ひさし氏は、「ことばは精神性そのものである」と、著書の中で言われていますが、標準語と方言について、二つの記事をご紹介します。標準語は明治政府がつくった(「日本語教室」井上ひさし著)

  近代国家に必要なものが少なくとも3つあります。一つは貨幣制度。東京で使うお金が九州で使えないのは困ります。二つ目は軍隊精度。国民の軍隊を作る。三番目は言葉の統一です。なぜ、言葉を統一するのか。そうしないと、たとえば軍隊で、東北の兵隊に九州人が号令をかけてもわからないからです。逆もそうです。『吉里吉里人』の最初に書きましたけれども、僕ら東北人は、走り幅跳びを「走りはんばとび」と言ってました(笑)。だから、東北の隊長が出て来て、「走りはんばとびはずめ」と言っても、九州の兵隊には通じないでしょう。「あん人、なんば言いよっとやろ」(笑)ということになる。軍隊はそれでは困ります。みんなを一斉にバッバッと動かすためには、全員がわかる言葉を作り上げないといけない。

 というわけで、大急ぎで作り上げたのが、いわゆる標準語なんです。山の手言葉とも言います。お巡りさんの言葉は常陸弁です。それから「○○であります」というのは、山口の言葉。とにかくあっちこっちから集めて、まあ、これが日本語の大体であろうという言葉をつくって標準語にしました。

 NHK、前身の社団法人日本放送協会の仕事は、実は、ラジオによって標準語を広めるという任務もあったんです。まあ、いずれにせよ、そうやって、官の側は言葉を統一しようという意志をずっと持っていました。だから、方言はいけない、汚い、ダメな言葉であると教わるわけです。
「方言は人の命に関わる」(日経新聞2016年10月16日 井上史雄)

 方言は命に関わる。何しろ方言殺人事件がある。一つ目はことばの取り違え。戦後間もなくのある村の話。遠くから嫁入りした人のところに近所のおばあさんが来て「お嫁さんのまんじゅうです」と言って、まんじゅうを置いていった。食べたその嫁さんは苦しんで亡くなった。その地方の方言ではねずみを「お嫁さん」と言っていた。ねずみ退治の毒餌だったのだ。

 方言のおかげで殺人未遂の例もある。傷害事件で検事は言った。「加害者は『クルサリンドー』と言う。『殺されるぞ』である」。沖縄方言では「ぶつぞ」ほどの軽い脅し言葉だそうだ。そのほか、方言がからんで、いじめによる自殺になりかけたことも。岡山県に転校してきた子どもが「シネー」と言われた。「死ね」と受け取って、親が訴えた。岡山の方言で「しなさいよ」を「しねえ」と言ったのを誤解したのだ。戦後まもなくは、地域によっては方言撲滅運動があり、コンプレックスが強かった。殺人、自殺の例は東北地方、栃木県、茨城県、島根県に多い。「ズーズー弁」の発音をする地域である。

 逆に方言が命を救うこともある。東日本大震災では「がんばっぺ」などの方言が表示に使われ、同じ方言を使う仲間の存在が元気を与え命を救った。

 現在は若い人が使わなくなり希少価値が増して、娯楽として扱われる時代になった。携帯メールでは各地の方言を混ぜる。テレビでも方言が楽しい話題になり訛りのあるタレントが登場する。方言を使うとカワイイそうで、「方言彼女」「方言彼氏」というDVDもある。今は方言が「殺し文句」に使われるのだ。やはり方言は命に関わる。