わたしの「運」の捉え方 運の「流れ」を意識してみる ~麻雀に学ぶ「運」の達観
■ 人それぞれに「運」の捉え方はあると思いますが、「人は見た目が9割」(新潮新書)などのヒットを生み出した作家であり、演出家でもある竹内一郎氏の「運」の捉え方をご紹介します。竹内氏は1956年生まれ。演劇や肉体労働のアルバイトで20代を過ごした後、「物書き」でお金を稼ぐと決心。竹内氏は、漫画の原作者として週間少年マガジンで「哲也 雀聖と呼ばれた男」という麻雀マンガを連載し、コミック1800万部を売り上げました。それは、メディアや大人を巻き込み、第三次麻雀ブームを創りました。
■ 麻雀の神様と呼ばれる阿佐田哲也(小説家)をモデルにした作品です。彼は麻雀を通じて「運」の大切さを学び、説いています。実は、竹内氏の「運」に対する考え方は、この阿佐田氏の影響が大きいのです。では、「運」と自然に仲良く付き合うにはどんな考え方をしていればいいのでしょうか。(PHPくらしラク~る♪2014年5月増刊号より)
1.売れない劇作家時代、パニック障害
私は前出の麻雀漫画に続いて、「見た目が9割」という新書を書き、出版界に「見た目」ブーム、「9割」ブームを起こし110万部以上売れたので、幸運の人と見る人も多いと思います。しかし、ヒットが出て、人並みの収入を得るようになったのは40歳になってからのことです。それまでは売れない劇作家で、公務員をしている家内の扶養家族でした。
なぜ、そんな生き方になったのか……。私は子どものころからパニック障害(当時は病名さえわからなかった)があり、団体行動ができない体質でした。一人でも、自室でもできる仕事は何かと考え、高校2年のときに苦肉の策で「物書き」になろうと思ったのです。もともと理数系が得意だったので、父は反対しました。
今私は57歳です。大学を出て食えない時代が16年間ありました。食えるようになって17年。私の家族は、単純に私が幸運な人生を生きているとは思っていません。ただ、4年前から、大学で漫画・演劇を教える教員になり、昔からの友人は「お前、出世したなあ」といいます。また「幸運な奴」だとも。私にしてみれば「今がいいだけに過ぎません」。運は「良いとき」と「悪いとき」があるだけです。電車の連絡が良い日と悪い日がありますが、あれと同じです。
長い目で見れば一生幸運な人もいないし、一生不運な人もいません。
2.自分一代ではわからない
幸運か、不運かは、人の一生で見なくてはわからないものです。人の運は、二代三代と大きな流れで見ないとわからないからです。
竹内家の例で説明します、曽祖父母は勤勉な人で、時の外務大臣・西園寺公望に引立てられ財を成します。祖父は浪費家で、結局満州で財を使い尽くし、ガンで早世します。命からがら満州から引き上げた父は、役人になり堅実な人生をまっとうしました。私は大学を出て定職に就かず、収入もなく四十の声を聞き、親戚からは「隔世遺伝」だと陰口を叩かれていました。
とはいえ、著書が売れて、教員にもなれて、私はハッピーエンドかというと、それはわかりません。これから大病をして長い闘病生活で貯蓄を使い尽くさないとも限りません。
「私の運」は、私の孫の成長を見届けるころ初めてわかるのではないでしょうか。孫達が「おじいちゃんが貯めた運のお陰で、私たちが幸運に生きられる」と言われるようなら、私の人生にも意義があったというものです。
3.「運」と「命」が合わさって運命
運命という言葉があります。運は「自然の流れ」のようなものです。「命」は「その人が持っているタネ」の部分です。素質といってもいいでしょう。私の勤務する大学にも「先生に合っていないなぁ」と感じる先生が何人かいます。その人は、自分なりに努力しているのですが、努力が報われているようには見えません。同様の事はどの組織にもあります。
「自分のタネ」に合った生き方でないと、努力が結果に結びつかないので「運の流れ」が感じられません。実は「自分のタネ」を見つけるのが難事業なのです。子どもの頃から、いろんな体験を繰り返して、自分の適性を調べておく必要があります。自分のタネは、カタカナ職業がいいとか、大企業で堅実な生き方がいいとか、先入観にとらわれている人にはわかりません。自分の内側から発せられる「野生の勘」のようなものが、小さくささやくのみですから。そのタネを大切にすることで、運は開けやすくなります。タネは長所の姿ばかりをしているわけではありません。欠点の姿をしていることもあります。パニック障害という克服できない欠点を持っていた私は、「欠点を大切に守り育てよう」といいたいぐらいの気持ちなのです。