季節の話題
愛媛県地方は梅雨明け間近という感じで、雨の日が続いていました。南予地方を中心に土砂崩れなどもあったようですが、大きな被害にはならなかったようです。今日7月7日の七夕は晴れ間も見えてきて、気温が一気に上がりました。もうすぐ夏、かな。
今週の愛媛
松山市の南にある伊予市には、ウェルピアという施設があります。中には、宿泊施設や会議室、野球場、プール、テニスコートなどがあり、もともとは厚生年金休暇センターとして運営されていました。私も独身時代は仕事が終わって毎日テニスをしていたところです(私がテニスをしていたなどと、誰も信じてくれませんが)。この施設、1981年開業と古かったため、閉鎖の方向も打ち出されていました。最近になり、伊予市が「サウンディング(対話型)市場調査」を実施することとなり、サイボウズが応募することになったと報道されました。
以前お伝えしたように、サイボウズはバスケットボールBリーグ2部の愛媛オレンジバイキングスのオーナーであり、アリーナも含め、具体的に進んでいくのか注目されます。大規模改修費は67億円とされますが、サイボウズの2025年12月期の連結売上は374億3,000万円、営業利益は101億100万円であり、決して難しい投資ではないと考えられます。ちなみに令和8年度予算における伊予市の歳入総額は、202億円。そのうち、市税収入は38億円ですから、この施設を市単独で維持するのは難しいと思われます。
今週考えたこと
ワールドカップについて
メキシコ、米国、カナダの北米3カ国でワールドカップがまだ続いています。日本は、予選リーグを突破したものの、ブラジルに敗れてしまいました。プラジル戦を見ていて思うことですが、少し前の日本チームに比べるとずいぶんたくましくなりました。ブラジル相手に普通にゴールが決まります。三苫、久保がいなかったということもありますが、パワーというか、サッカーのセンスという点では、まだまだトップクラスには及ばないという感じがしました。ただ、マネジメント力というか、組織的に動くフォーメーションというやつはトップレベルというか、日本独特のたくましさを感じました。これに体力面が強化されれば、決勝ラウンドでも勝てるようになると思います。
このワールドカップで感じたことを整理してみました。
- 世界中の国が小国でも参加できる 野球とは比べものにならない カボベルデなんて国が出てきてスペインと引き分けちゃう
- 政治と別の次元で楽しめる 戦争してたイランが米国で試合できる
- 米国のエンターテインメント能力の発揮 会場のスタジアムがすごい スーパーボウルみたい
- 入場料が高い ん十万円 米国はリセール転売が合法なので50万60万もするらしい
- 時々変な人がいる レッドカードをもらっても実質的に無効にしてしまう 本人と支持者はすごいと思ってるのかもしれないけれど、サッカーに限らずスポーツの良さをまったく分かっていないかわいそうな人たちであり、まったく別の意味ですごい
- やっぱり欧州のサッカーはすごい 日本が負けたら報道量が極端に減ったように感じるが、決勝に進むほどすごい試合が増えてくる
- 最後は実力 レッドカードを無効にしたチームも次の試合ではあっさり負ける やっぱりサッカーという実力勝負の世界だ
この1週間の日経電子版の記事で面白いと思ったのがこれです。かつて日本の家はウサギ小屋だと言われました。大きいことは良いことだと言ったのは1967年に森永製菓の「エールチョコレート」のCMです。戦後、日本人の身長も大きく伸びました。しかし、最近になると伸び悩んでいて、中国や韓国に抜かれてしまったそうです。その背景には食生活があり、日本人のカロリー摂取量も減っているそうです。
フィジカル面だけでなく、精神的なところ、友人関係についてもこのように書かれています。「「友達は多ければ多いほどいい」と答えた若者の割合は94年には31.9%だったが、2024年はわずか10.3%。交友関係を性別に見ると「自分にとって居心地のいい組み合わせは同性か異性か」という質問に94年は同性が25.5%だったが、24年には64.8%へ急上昇している。」
スマホを持ち、SNSを使用することが交友関係を拡げることにつながるのではなく、逆に狭めているように思えます。スポーツ界では、かつては到底無理だと言われた米国の野球やバスケットで活躍する選手がいるのに、全体的に見ると、日本人が心も身体も小さくなっているようです。この記事が取り上げた視点は、少子化とつながる部分なのかもしれません。
今週のAI
AIの機能には要約という機能があります。論文やレポート、メールの内容をまとめてくれるといったものです。資料を全部読みのが大変で時間がないという時には、AIがまとめてくれると助かります。しかし、長文の中には、要約では読み切ることができない内容、例えば、最後の1行に本音が書かれていたり、人間が全体と読み切っていく中で感じるニュアンスのようなものがあると思います。そこで、Claudeにどう考えるか聞いてみたところ、このような回答が返ってきました。
鋭い指摘だと思います。要約は「情報の圧縮」であって、「理解の圧縮」ではない、ということですよね。行間を読む、細部の言い回しから著者の逡巡や含みを感じ取る、そうした営みは要約という工程そのものと相性が悪い。情報を削ぎ落とす作業と、意味を汲み取る作業は、そもそも別のベクトルを向いているのだと思います。いくつかの方向性が考えられます。
- 要約を「地図」として使う、目的地としない
要約は「この文章を読むべきか」「どこに重要な部分があるか」を判断するための索引として使い、実際の理解はあくまで原文を読むことに委ねる。AIの役割を「読む代わり」ではなく「読む前の道案内」に限定するという発想です。これなら要約は本来の力を発揮しつつ、行間を読む営みは損なわれません。 - 段階的な要約(progressive disclosure)
一段の要約ではなく、一文→三行→一段落→全文、という階層を用意し、読者が気になった箇所だけ深く潜れるようにする。要約とは本来「解像度を落とす」行為ですが、解像度を選べるようにすれば、興味の焦点に応じて行間へのアクセスを残せます。 - 要約ではなく「対話」に切り替える
AIに一方的に圧縮させるのではなく、原文を読んだ上でAIに問いを投げ、AIが逆に問いを返す、という双方向のやりとりに変える。要約は思考を代行してしまいますが、対話は思考を触発します。行間を読む力は、実は「自分で問いを立てる」プロセスの中で育つのだと思います。 - 「わかったつもり」を壊す装置として使う
原文を読んだ後にAIへ「この著者が意図的に書かなかったことは何か」「反対の立場からはどう読めるか」と尋ねる。要約とは逆に、AIを「理解を深めるための摩擦」として使う発想です。結局のところ、要約AIの本質的な限界は、「理解」というものが情報量ではなく、読み手が時間をかけて文章と格闘する過程そのものに宿っている、という点にあるのだと思います。酒井さんが以前「無常」という言葉を丁寧に使いたいとおっしゃっていたのも、まさにこれと通じる話ではないでしょうか。言葉や文章を急いで消費せず、時間をかけて付き合うことでしか見えてこないものがある、という感覚です。
AIを日常的に使う機会が増えてきました。人間も使えば使うほど、AIの役割、自分の頭との使い分けが理解できてきたように感じます。もっともすべての人がAIを使いこなすようにはまだなっていません。まだまだ課題が出てくる中で、その解決策を考えていく必要があると思います。ただ、それは人間単独ではなく、AIとともにというのが今までとちょっと違うかもしれません。
※この記事では一般的な経済市場動向についての情報提供を行っているもので、特定の投資を推奨又は勧誘するものではありません。
