ボストーク松山藤原塾

こどもの日には柏餅です

皆さん こんにちは

朝から雨が降っていた今日5月6日でGWも終わりです。
皆さまにとって、今年はどのような連休だったでしょうか。
道後温泉も大混雑だったようで、温泉の周りを行列がぐるっと囲んでいたようです。
全国各地(以前は世界中)に繰り出す(そして帰ってくる)人波の映像がニュースで放映されていますが、日本中が一斉にレジャーや帰省に動くこの昭和のイベントはいつまで続くのでしょうか。
もっともこの時期しか休みを取れないという方もいらっしゃるでしょうから、そのような方々とその家族にとっては大切なお休みです。
それぞれの環境で楽しんだり、ゆっくりできるのが一番大切です。

さて、昨日5月5日はこどもの日です。
「こども」とひらがなで表記されるのは、子供の「供」の字が、従属や隷属をイメージさせ、大人の手下のように捉えられるイメージがあることから、親しみやすい表記が採用されているそうです。

敬老の日がある9月には高齢者の、こどもの日には子どものデータが総務省から発表されます。
今年4月1日時点の外国人を含む15歳未満の子どもの数は、昨年より35万人少ない1366万人で44年続けて減少しました。
昨年1年間の日本の総人口は、対前年で89万8千人の減少ですから、やや乱暴な見方をすると、人口減の約1/3は、若年層の減少であると言えます。
なお、昨年の子供の数は33万人少なかったとのことで、減少数はさらに拡大しています。

子どもの数が減少している地方での様子については、この投稿で少し触れました。目の前にあるものだけではなく、想像力を働かせて未来予想図を描き、どこかで反転するように努力するか、現状を受入れ、縮小していく町や村を静かに見守るかという時期に来ていると思われます。

改めて子どもの数の減少について考えます。
気になるのは、この傾向が44年続いているということ。
今から44年前とは、1981年昭和56年です。
Wikipediaで見直すと、この頃はまだ昭和の勢いが続いており、時代の転換点を示すような出来事は確認できません。
経済的に見る大きな転換点は、1985年のプラザ合意による円高ドル安をきっかけとするバブルの発生、そして1991年に起きるバブル崩壊とその後続くデフレ=失われた35年ではないでしょうか。
この間の日本がどうだったのかについてはここでは触れません。

連休中に読んだ斎藤ジン著「世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ(文春文庫)」では、バブルが崩壊した日本では、賃金と経済効率を犠牲にして既存雇用を守る選択を行ったと書かれています。
つまり、日本人は30年近く息を潜め、賃金もコストも引き上げませんでした。
従業員を解雇して会社をスリム化してテクノロジーを駆使した新しい事業を展開するのではなく、既存の事業と雇用を維持することを選択したということです。
簡単に言えば、我慢して人と組織を守ったということでしょう。
この我慢が持ちこたえられなくなったきっかけを作ったのが、コロナだったわけですが、その後の日本は世界の波にもまれて、賃金と物価の上昇を受け入れざるを得なくなっています。
しかし、この空気はまだ世の中には浸透しておらず、日本全体が開き直って前に進もうとしているとは思えません。
厚労省が指定する最低賃金に合わせて賃上げを行うようなものです。
なぜなら、35年前、30歳だった若者は65歳です。
長く長く染みついた現状維持の空気を変えるのは本当に大変なことです。
基本的に年長者は若年者に対して道を譲るべきですが、現状を打破するきっかけは高齢者がつけても良いような気がします。
もちろんやりすぎは禁物なので、さっさと後進に道を譲るべきです。

では具体的にどうするか。
身近なところで言えば、GWなんてやめちゃえ、ではないかと思います。
日本中が一斉に休むなんてやめてしまい、いつでも誰でも有休が取れる空気が普通になること。
休日にしても労働環境にしても法律で定まっているので、高齢者の塊である政治に関わる人たちが頑張って改正に向けて動けば良いはずです。
その結果、若い人たちが、自分たちは自由なんだと感じられる社会であることが彼らの元気につながるように思います。
労働環境だけでなく、様々な社会の仕組み、起業家精神のようなものも含め、全体で変えていく必要があります。
また、「○○するもんなんだよ」という年長者特有の言い回しもやめたいところです。
そこで結論が出てしまっては前に進めません。
最後に、子供の人口=出生者数という個別テーマを追いかけすぎないこと。
結果は後で確認すれば良い。
そんなの無理でしょ、と思ってる人がいる間は、日本という国は変わらないと思います。

いろいろ書いちゃいましたが、こどもの日にはあまり難しいことを考えないで、柏餅を美味しく食べたいですよね。