ようやく秋らしい涼風を感じるようになりましたが、時にまだ30度を超える日もあるようで、体調不良や心身の不調を感じる人は少なくないようです。温暖化は大雨による災害や、雪による事故(温暖化の影響で雪は少ないものの、短い期間でドカ雪が降ることも増えています)も懸念されます。気温や気圧の急激な変化は自律神経の調整を難しくし、古傷や持病の悪化、痛みにも影響します。今後、スギ花粉の増加やジカ熱やマラリアなどの感染症も無視できません。今回は、専門家による基調講演を一部抜粋してみました。(JAICO 日本産業カウンセラー協会全国研究大会 気象予報士 森朗氏 基調講演より)
気温40度以上は2000年以降に多発
日本の年平均気温の変化を見ると、ずっと上がっています。特に暑かったのは去年。過去最も暑い夏だったと言われています。ただ、こんなことは毎年のように言われていて年々更新されています。
日本で最初に気温40度が観測されたのは、1972年愛媛県の宇和島です。その後、観測網が整備されましたが、40度の観測は増えませんでした。ところが、90年代から関東地方、東海地方、さらに東北地方で、40度以上になるのが当たり前のようになっていきました。日本で40度以上を記録したのは69回。そのうち61回が2000年以降です。
夏の最低気温が30度以上の記録をみると、一番高いのが新潟県糸魚川の31.1度。新潟県の佐渡の相川で30.8度。ほとんどが日本海側の地方です。これは湿った南風が、高山を超え日本海側に降りるフェーン現象によるものです。昔から有名ですが。
ただ記録を見ていくと、5番目に東京があります。東京は日本海側じゃないのに、です。この最低気温が30度というのは、1日中30度以上だったということです。これを夜だけ、つまり一晩中30度以上だった記録を調べると、2007年度の8月17日に東京で30.5度、大阪では2020年8月17日、30度という夜がありました。つまり都市部です。
いわゆる空調や人の多さ、交通などの人工的な熱によって、夜になっても冷めない街にしてしまっているのです。とはいえ、都市機能だけでは説明できないので、やはりベースとなる気温が上がってきている上に、都市の特性が加わっているといえるでしょう。
100年に1.3 度上昇の怖さ
気温の上がり方を見ると、日本は100年につき1.3度の割合で上昇している計算になります。これは、ものすごく急激な上昇なんです。地球の歴史を遡ってみると、大体2万5000年ぐらい前に底を打って、その後急激に温度が上昇しました。そのときが大体100年で0.08度です。どれほど急激な温度変化かがわかるでしょう。
これは日本の南から熱帯が迫ってきているような状態です。この気候帯の移動速度を計算すると、1年間で北に2000メートルずつズレていることになります。生き物は生きやすいところに移動して対応します。寒くなったら暖かい場所に、暑くなったら寒いところに。気候に合わせて移動すれば生き延びられる。生き物が気候帯の移動についていけるか計算してみました。ハヤブサ、チーター、アフリカゾウ、ペンギン、鳥、亀なんかも移動できます。カタツムリやモグラも移動可能。人間だって自分の足で移動すれば追いつける。
問題は植物です。植物はタネを飛ばして植生を広げていくしかありません。ごく一部の植物しか、今の気候帯の変動についていけません。つまり食べ物がなくなる。結果、動物も人間も気候変動についていけなくなってしまうのです。
もう走る人のいない街に
近い将来の日本は、40度が当たり前のリオデジャネイロのようになるかもしれません。リオデジャネイロは風が抜けやすいように通りを大きくし、日陰をつくるための大きな街路樹が立ち、皆ゆっくり歩いています。走っている人なんかいません。ジョギングは別として。歩行者は時々日陰に入って休みます。そして、1日になんどもシャワーを浴びる。それで体を冷やすことができるからです。それから街中で水を売っています。日本でも暑い街での暮らし方を参考にしないといけないかもしれません。
街の構造も変えていかなければなりません。たとえばパリは建物が低い。旧市街は街の中心を川が流れているので、街の真ん中を風が抜けていきます。だから風通しがよくて気温が上がりにくい構造になっています。さらに欧米はサマータイムが4月から行われます。そうしたことも日本では必要になってくるかもしれません。