F&Aレポート

大岡越前に学ぶ人心掌握の極意

「大岡越前」といえば、時代劇を思い出す人も多いと思います。江戸時代、民衆のために働いてくれたお奉行様。現代でいえば「今だけ」「金だけ」「自分だけ」の政治家ではなく、民を思い、民のための国づくりを行うヒーローのような政治家ということになるでしょうか。

 大岡越前は実在の人物で、数々の逸話を残しています。その逸話には、現代の「リーダー」が学ぶべきエッセンスも満載!

 ゴールデンウィーク真只中。古典落語で有名な「三方一両損」と「馬鹿」をご紹介したいと思います。いつも以上にお気楽なレポートをお届けしたいと思います。ご笑覧ください。

馬鹿

 ある時、嫁と姑が針仕事をしながら、向かいの山に一頭の動物がいるのを見つけた。
「お母様、向かいの山に馬がいます」と嫁は言った。
 これを聞いた姑は「何を言うか。あれはシシ(鹿)ですよ」と言った。
「あれは馬です」「いやあれは鹿だ」と二人は一日中、言い合いをした。
 このままではらちがあかないので、とうとう大岡様のところへ行って裁いてもらうことにした。二人はそれぞれ、お裁きの前夜にこっそりと白布一反の賄賂を届けた。
 さて翌日の裁判、、、。大岡様は「あれは馬でもないし、鹿でもない。馬鹿というものだ」というお裁きをした。
 白布二反はただで取られてしまった。(座右の寓話 戸田智弘著 参考)

<仲間内のケンカは白か黒か、第三の色か>

「白でも黒でもない。馬鹿というものだ」というお裁きは「馬でも鹿でもないどっちでもいい。そんなことで仲違いをしているおまえたちは馬鹿者だ」ということです。

「身内のケンカは白黒つけず、第三の選択を考える」というのが教訓になろうかと思います。もちろん、会社の会議で「A案か、B案か」という場合はどちらかを選択しなければならないのですが、友人との雑談や、家庭の会話などにおいては、本当に白黒つけなければならない事案は、どれくらいあるでしょうか。図らずも白黒ついて相手の間違いが明白になってしまった場合は、何らかの「逃げ道」を用意して相手の顔をつぶさない(誇りを傷つけない)のが、大人の流儀なのでしょう。

三方一両損(さんぽういちりょうぞん)

 左官の金太郎は、三両の金が入った財布を拾い、持ち主に返そうとする。財布の持ち主は大工の吉五郎だとわかるが、江戸っ子の吉五郎はもはや諦めていたものだから、金は受け取らないと言い張る。しかし、金太郎も江戸っ子であり、是が非でも吉五郎に金を返すといって聞かない。互いに大金を押し付け合うという奇妙な争いは、ついに奉行所に持ち込まれ、名高い大岡越前が裁くことになった。
 双方の言い分を聞いた越前は、どちらの言い分にも一理あると認める。その上で、自らの一両を加えて四両とし、二両ずつ金太郎と吉五郎に分け与えるという裁定を下す。
 金太郎は三両拾ったのに二両しかもらえず一両損、吉五郎は三両落としたのに二両しか返ってこず一両損、そして大岡越前は裁定のため一両失ったので、三方一両損として双方を納得させる。(Wikipedia  参考)

 これは、大岡政談ものの中でも最も有名なエピソードの一つです。

 落語ではこのあと、越前の計らいでお膳が出てきます。普段は食べられないご馳走に舌鼓を打つ二人を見て越前は、いかに空腹だと言っても、大食いは体に悪いと注意します。 

 すると二人はこう答えました。

「多くは(多かぁ=大岡)食わねえ。たった一膳(越前)」

 史実として、大岡越前がそのような裁きを行なったという事実はないようですが、裁判や施政をまとめた書物の中に、三方一両損があることが知られており、これが元ネタになったと見なされています。

 大局的見地に立ちながら、民に慕われた大岡越前のあり方は、現代でも人心掌握のヒントになること盛りだくさんなのでしょう。