F&Aレポート

「寓話」と、その解釈に学ぶ2

 日本人なら誰でも知っている「うさぎとカメ」には、「油断大敵」「自信過剰への戒め」「真面目にやっているものが勝つ」という教訓があります。

 しかし、これを「目標達成」という視点でみると、「うさぎは『カメ』を見ていたから負けた。一方で、カメはひたすら『ゴール』を見ていたから勝った」と、解釈することもできます。

 他にも、「もしもし亀よ 亀さんよ」の童謡では、「なんと おっしゃるうさぎさん それならオマエとかけ比べ 向こうの小山のふもとまで どちらが先にかけつくか」というカメの言葉があります。「実はカメが仕組んだ罠だった」という、ちょっと笑える説もあります。

 いずれにしても数多ある寓話は学びの宝庫です。どのような解釈をするかは貴方の自由。大真面目な会議の前のアイスブレイクや、雑談の小ネタにいかがでしょうか。(「座右の寓話」戸田智弘著)

1、みんなでやろうは、誰もやらない「樽の中のワイン」

 山奥のユダヤ人の村に、新しいラビ(ユダヤ教の指導者)が着任することになった。村人たちはラビが着任する日に、祝いの宴を開くことにした。ユダヤ教会堂の中庭に空の樽を用意し、前日までに村人それぞれが一瓶分の酒を樽の中に注ぎ入れておくことにした。

 当日までに樽はいっぱいになった。新任のラビが到着すると、村人たちはユダヤ教会堂で祈りを捧げ、祝いの宴となった。しかし、どうしたことか、樽から注いだ液体はまったく酒の味がしない。それはまるで水のようだった。

 長老たちは新任のラビの手前、戸惑い、恥じ入った。突き刺すような静寂が立ち込めた。しばらくして、隅にいた貧しい村人が立ち上がって言った。

「みなさんに告白します。実は、みんなが酒を注ぎ入れるだろうから、わしが一瓶分ぐらい水を入れたって、誰にもわからないだろう。そう思ったんです」。間髪を入れず、別の男が立ち上がった。「実は、わしも同じことを…」。その後、次々に「わしも」「わしも」と言い出し、とうとう村人全員が同じことをしていたことがわかった。

2、仕事をしなくていい人生は本当に幸せ?「子どもをしかる父親」

 「おい!そんなところでゴロゴロ寝てないで、勉強しろ!」
 「どうして勉強しなきゃいけないの?」
 「勉強しないといい大学に入れないだろ!」
 「どうしていい大学に入らなきゃいけないの?」
 「いい大学に入らなきゃ、いい会社に入れないだろ!」
 「どうしていい会社に入らなきゃいけないの?」
 「いい会社に入らなきゃ、いい暮らしができないだろ!」
 「いい暮らしってなにさ?」
 「…そうだな……寝て暮らせるってことだ…」
 「ぼく、もう寝て暮らしているよ!」

3、既知と未知「吊るされた愚か者」

 一人の罪人が王様の前に引き出された。王様は彼に言った。「おまえには二つの選択肢がある。一つは絞首刑、もう一つはあの黒い扉の向こう側で刑を受けること。さあ、どっちを選ぶ?」罪人は即決で絞首刑を選んだ。

 絞首刑が執行される直前、罪人は王様に質問した。「教えてください。黒い扉の向こう側には何があるんですか?」王様はその質問をはぐらかすように言った。

「面白いのお、わしはどの罪人にも同じように二つの選択肢を与えるんじゃ。だが、ほとんど全員が絞首刑を選ぶんだ」

「王様、教えてください。あの黒い扉の向こう側には何があるんですか。どうせ私は誰にも教えることはできませんから」。罪人は首に掛かったロープを指した。

 おもむろに王様は口を開いた。「自由だよ。自由」王様は繰り返した。「たいていの者は、よほど未知への怖れが強いんだろう。絞首刑のほうに飛びついてしまう」

 一般的には「樽の中のワイン」は、「自分一人くらい…」という思いがチームを壊すという戒め。誰かのさぼりや手抜きは、それを尻拭いする人がいる限りは、表面化してこない。「子どもをしかる父親」は「人はなぜ働くのか」という働く意義について問われている。「吊るされた愚か者」は、人は未知のものを恐れるがあまり「過剰な心配」に悪いイメージが増幅して怖気づくというお話しです。

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