わくわく日本語講座 1
日本語は、時代とともに変化しています。ただ言葉は変化しても、言葉の内に潜む日本人の精神性や感性のようなものは今でも息づいているはずです。デジタルの普及で言葉を便利にやりとりできるようになった分、言葉そのものが軽くなった印象があるかと思いますが、そもそも日本語は単なる記号ではありません。今回は、井上ひさしさんの講演をまとめた「日本語教室」(新潮新書)からご紹介します。
母国語と母語のちがい
私たち人間の脳は、生まれてから3年ぐらいの間にどんどん発達していきます。生まれた時の脳はだいたい350グラムで、成人、二十歳ぐらいでは1400グラムぐらいになります。ちょうど4倍ですね。4倍にもなるのに、なぜ頭蓋骨がバーンと破裂しないのかというと、脳はあらかじめ折りたたまれていて、泉門(せんもん)という隙間がちゃんとある。そこが発達していくから大丈夫なんです。
そんな風にして脳がどんどん育っていくときに、お母さんや愛情をもって世話をしてくれる人たちから聞いた言葉、それが母語です。
赤ん坊の脳はまっさらで、すべてを受け入れる用意がしてあります。ですから、日本で生まれても、まだ脳が発達していない前にアメリカに行って、アメリカ人に育てられると、アメリカ英語がその子の母語になります。赤ちゃんは、自分を一番愛してくれる人の言葉を吸い取って、学びながら、粘土みたいな脳を細工していくわけです。
有名なアヴェロンの野生児とか、いろいろな都合で人と会う機会がなくて、森の中で育った子どもを後で引き取ったという事例がありました。それでわかったのは、15歳ぐらいを過ぎると、どんな言葉も覚えることはできないということです。言葉は、脳がどんどん生育していくときに身につくものなのだということを、ここでしっかり確認しておきましょう。
言葉は道具ではないのです。第二言語、第三言語は道具ですが、母語=第一言語は道具ではありません。アメリカでは、二十世紀の後半に「言語は道具である」という考え方が流行しました。アメリカの合理主義と相まって、一時期、世界を席巻しますけれども、やがてそうではない、母語は道具ではない、精神そのものであるということがわかってきます。母語を土台に、第二言語、第三言語を習得していくのです。ですから、結局は、その母語以内でしか別の言葉は習得できません。ここのところは言い方がちょっと難しいのですが、母語より大きい外国語は覚えられないということです。つまり、英語をちゃんと書いたり話したりするためには、英語より大きい母語が必要なのです。だから、外国語が上手になるためには、日本語をしっかり!たくさん言葉を覚えるということではなくて、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身につけていなかればなりません。
標準語は明治政府がつくった
近代国家に必要なものが少なくとも3つあります。一つは貨幣制度。東京で使うお金が九州で使えないのは困りますから、貨幣制度を統一する。二つ目は軍隊制度です。国民の軍隊を作る。三番目は言葉の統一です。近代国民国家は、まずこの三つをやるわけです。
なぜ言葉を統一するのか。そうしないと、たとえば軍隊で、東北の兵隊さんに吸収の人が号令をかけてもわからないからです。逆もそうです。僕ら東北人は、走り幅跳びを「走りはんばとび」と言ってたんです(笑)。だから、東北の体調さんが出てきて、「走りはんばとびはずめ」と言っても、九州の兵隊さんには通じないでしょう。「あん人、なんば言いよっとやろ」(笑)ということになる。軍隊はそれでは困ります。みんなを一斉にバッバッと動かすためには、全員がわかる、使える言葉をつくり上げないといけない。
というわけで、大急ぎでつくり上げたのが、いわゆる標準語なんですね。山の手言葉とも言います。お巡りさんの言葉は常陸弁です。それから「○○であります」というのは、これは山口の言葉。とにかくあっちこっちから集めて、まあ、これが日本語の大体であろうという言葉をつくって、標準語にしました。言語統一をしたわけです。それはある程度成功しました。NHKの前身の社団法人日本放送協会の仕事は、実は、ラジオによって標準語を広めるという任務もあったんです。