F&Aレポート

「方丈記」に学ぶ自然災害と、終の住処。〜800年前の災害記録から、これからの経営と暮らしを考える

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。鎌倉時代の初め、鴨長明によって書かれた「方丈記」は、無常観を説いた随筆として知られていますが、京都で起きた大災害を克明に記録した「災害の記録」でもあります。

「自分は運が悪い」と言わしめるほど鴨長明は、生きている間に大きな災害に5回も遭遇しています。さらに、災害を体験して得た「終の住処」は、驚くほどコンパクトで移動式。「もののあわれ」。そして、価値観、考え方、処世術。800年前の書物を紐解いてみましょう。

鴨長明「五大災禍」

安元の大火1177年 長明22歳

 安元3年4月28日、京都で大火が発生した。「方丈記」によれば、都の東南から出た火は強風にあおられて西北へ燃え広がり、朱雀門、大極殿、大学寮、民部省など、都の中枢まで及んだ。一夜のうちに都の3分の2の地域が灰となり、焼失した家は屋は2万余ともされる。

 炎は風に吹きちぎられ、町を飛び越えて次々に燃え移り、長明は、火の恐ろしさとともに、人間が築いた都の脆さを目の当たりにした。

治承の辻風1180年 長明25歳

 安元の大火からわずか3年後、京都を激しい「辻風」(現代でいう竜巻)が襲った。風は東南から吹きおこり、家々を次々と破壊した。倒壊した家の木材や板、檜皮などが枯葉のように空中を舞い、人々は家の中にいても外にいても危険にさらされた。わずかな時間で、家財や住まいが失われてゆく。火とは異なり、目に見えない「風」が人間の生活を一瞬で壊す様子を、長明は克明に描いている。

福原遷都1180年 長明25歳

 同年、平安京から現在の神戸市にあたる福原へ、突然の遷都が行われた。約400年続いた都が、政治的な事情によって急に移された。人々は住み慣れた家を壊して新都へ移り、土地や家を失った者も多かった。一方、福原では新しい都の建設が進まず、わずか数ヶ月で京都へ還都することになる。長明は、政治の都合によって人々の「住まい」と生活基盤が翻弄される様子を描いた。

養和の飢饉1181〜1182年 長明26歳

 養和元年から2年かけて、日照り、大風、洪水などの異常気象が相次ぎ、五穀が実らず大飢饉となった。人々は食料を得るため家財を売ろうとしたが、飢えが広がると物の価値そのものが失われていった。京都では飢死者が街や河原にあふれ、死者を葬ることもできない状態になった。さらに疫病も広がり、親子や夫婦でさえ生き別れになる悲惨な状況だった。

元暦の大地震1185年 長明30歳

 元暦2年7月9日、京都周辺を大地震が襲った。現在の暦では1185年8月13日で、マグニチュード約7.4と推定されている。「方丈記」には、山が崩れて川を埋め、地面が避けて水が湧き、海が陸地を浸したと記される。京都では寺社や塔、家屋が次々と倒壊し、地鳴りと建物が崩れる音が雷のように響いた。長明は「恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震」と、その恐怖を記録している。

終の住処〜移動できる方丈庵

 火→風→政治による混乱→飢饉→地震。長明は、単なる「自然災害集」を書いたのではありません。自然によって壊される暮らしと、政治によって動かされる暮らし。そして、その中で変化していく人間の心と住まいを記録しています。

 そんな長明が最後に選んだのは、「動かせない大きな家」ではなく、「小さく、必要ならいつでも移動できる住まい」でした。(つづく)