F&Aレポート
マナーの本質は自他への思いやり「上善若水」昔の日本の貴族のしつけ
■ 中国の古典「老子道徳経」の中に、「上善若水(じょうぜんみずのごとし)」という言葉があります。「上善は水のごとし。水は、よく万物を利して、しかも争わず」とあり、これは日本の茶の湯の心にも通じます。「上善」とは最高の善のことです。最高の善は、水のようにすべてのものを潤し、しかも争わず、どんなところへも自由に流れ、その形に合わせます。合わせながらも「水」という個性は失いません。西洋・東洋を問わず、マナーとプロトコール(国際儀礼)の本質は、この「上善若水」にあります。今回は、昔の日本の貴族のしつけについて特集します。(皇室に学ぶプリンセスマナー 上月マリア著)
1.昔の日本の貴族のしつけ
先述の「上善若水」を人の姿に置き換えると、「自分を敬い大切にする人は、その習慣がすべての行いに及び、他の人も敬い大切にする。そして、相手の表情やしぐさから心情を慮り、それを受け入れ、その時々に一番ふさわしい言葉づかいや振る舞いを選んで接することができる。そこにか『一期一会』のおもてなしが生まれる」といえるでしょう。そしてこのような女性のことを、世界では敬意を込めて淑女(レディ)と呼びます。
ところで、『その場に一番ふさわしい振る舞いをする』ということは、『相手や状況に合わせて体が自然に反応する』ということです。そして、体が反応するということは『身についている』ことといえるでしょう。マナーならば、普段の生活の中で各種のマナーを意識して取り入れることがその方法となります。
昔のことになりますが、このことを具体的に示すお手本として、かつて日本に貴族社会があった明治、大正、昭和初期までの上流階級層の家庭でのマナー教育をのぞいてみましょう。
それが普段のご近所づきあいでも、宮中での夜会でも、「外の世界は家の中の延長上にある」ことに変わりありません。ですから、普段の暮らし方こそマナーの基本と考え、幼い頃から社会のルールや道徳を教えることは、家柄に関係なく、日本の家庭のごく普通の姿でした。
その上で、華族や財閥、伝統ある名家など、政治、経済、外交の中心的な役割を担っていた家庭では、その社会的な立場にともない、仕事上、社交上必要な各種のマナーを日常の生活の中で教えました。「武家礼法」「宮廷礼法」「プロトコール」「西洋のマナー」が代表的なものです。専門家に教わることもありますが、基本は家庭の中で祖母や母たちが教えます。教える…というよりも、そうすることが普通だったといったほうが正しいでしょう。たとえば、武家言葉の「承知いたしました」は、公家の方の前では「承りましてございます」と申し上げるというように、言葉ひとつも相手によって変えます。
2.子どもも人前に出ればマナーが問われる
日本に本格的に西洋のマナーが入ってきたのは、明治維新のこと。国際社会の仲間入りをするにあたって欧米の文化を取り入れる必要が生じたため、明治7年に、西洋のマナーを学ぶために宮内省から研修生をイギリスのバッキンガム宮殿に派遣したのがきっかけです。こうしてイギリス式のマナーが宮中で取り入れられたため、上流階級の家庭では、当時の格調高い本格的な英国マナーを子どもに教えたのです。西洋の洋館のような家が造られたのもこの時代です。一方、親戚づきあいや日常の家同士のお付き合いは、日本の伝統的な作法である「武家礼法」で行い、公家との交流は「宮廷作法」で行われていました。
子どもであっても、人前に出れば大人と同じように振る舞わなくてはなりません。子どもだからできませんという理由は通用しないのです。子どもの頃からとっさのときにも慌てず落ち着いて、相手の立場や国柄に応じた対応ができるように、日頃から教わります。そして、実際の場面でたくさんの失敗をして、その都度叱られながらもどうすればよかったのかを教えられ、この繰り返しの中でいつしか体が覚えていきました。状況に合わせて体が自然に反応するマナーは、普段の生活の中でこそ育まれたのでした。