F&Aレポート
禅が教えてくれる 美しい人をつくる「所作」の基本 1 なぜ、ワンランク上の人は"立っているだけ"で違うのか?
1.「威儀即仏法 作法是宗旨(いぎそくぶっぽう さほうこれしゅうし)」
仕事でも、食事でも、所作というものがある。所作が洗練されている人は、動きに無駄がなく見た目に美しいだけでなく、本人も力が入らず楽に作業をこなしているようにみえる。所作は呼吸と連動している。そして、どんな動きも良い姿勢が伴って、はじめて形が整う。禅僧である枡野俊明氏の「美しい人をつくる"所作"の基本」(幻冬舎)によると、「威儀即仏法 作法是宗旨」という禅の言葉が紹介されている。
これは、すべての動作について、礼儀作法にかなった身のこなしをすることが、そのまま仏法である。すなわち、日常生活の立ち居振る舞いそのものを整えることが、そのまま禅の修行であるという意味である。
心を整えるために、まずみずからの所作を整えること。立ち居振る舞いが整えば、自然と心も整う。心が穏やかであれば、言葉にやさしさや思いやりがにじみ出て来る。
逆に、立ち居振る舞いが乱れていると、心も乱れ、自然と言葉づかいも乱れてくる。つまり、言葉づかいが攻撃的になったり、身勝手な発言になりやすい。そういう所作で生活をしていると、長い間に社会で敵を多くつくる原因ともなり、これが進むと、気がついたときには、社会から孤立してしまった、ということになりかねない。
心を整えたいなら、まずは所作から整えるべし。所作が整えば、仕事も人生も輝きはじめるのである。
2.立ち居振る舞いは心を映し出すもの
「所作」と「心」は深く関わっている。所作の美しい人を見て、「かっこいいなあ」と感じるのは、そのとき同時に、その人の心の美しさに触れているからである。
取り立てて目立つわけでも、美形というわけでもないのに「素敵だ」と心惹かれる人がいる。恐らくそういう人は所作が美しいのだ。実は、所作が美しい人ほど、その所作は「さりげない」もの。わざとらしくなく、美しい所作をするから「なぜかわからないけど、心惹かれる」のである。枡野氏は著書の中で「私はこれまで、何人もの高僧に会ってきましたが、徳の高い方ほど美しさがあります。"所作なんて形じゃないか!"という考えを持っているとしたら、いますぐそれを捨ててください」とある。
所作を整えることは、心を整えること、所作を磨くことは心を磨くこと。さらに知っておきたいのは「心」に比べると、「所作」は整えたり、磨いたりすることが、比較的やさしいということである。
3.所作、呼吸、心は三位一体。イライラしている人に、所作の美しい人はいない
禅には「調身、調息、調心(ちょうしん、ちょうそく、ちょうしん)」という三要素がある。これは姿勢を整える、呼吸を整える、心を整えるというもの。この三つが揃えば心安らかな境地になるという。これは順番が大切で、姿勢(所作)が整わなければ呼吸も整わず、呼吸が整わなければ心も整うことはないということになる。
美しい人の共通点は、所作、呼吸、心が三位一体になっている。たとえば、「ピンチの状況にあっても、落ち着いて堂々と対処できる」「会話の中で声を荒げることもなく、お辞儀ひとつとってもとても感じがいい」。それは、心がいたずら揺れ動くことなく、穏やかに整っている証拠である。所作は美しいけど、イライラして怒りっぽいということはない。この座禅の三要素は、そのまま美しい人になる必要条件なのである。所作と呼吸と心が一体となって整うのであれば、まず何から始めるべきか、おのずと見えてくるのである。(参考図書「禅が教えてくる 美しい人をつくる"所作"の基本」)