F&Aレポート
F&Aレポート 2018年7月20日号 Presented by Aquarius Intelligence Institute Inc.
2018年7月豪雨 西日本災害〜平成の終わり、時代の大転換のはじまりか?
2018年7月豪雨により、亡くなられた方々にお悔やみ申し上げますとともに、被災された方々に謹んでお見舞い申し上げます。
西日本を中心とする豪雨災害で延期されていた第100回全国高校野球選手権記念広島大会が17日、始まりました。広島県内では道路の寸断や球場の断水、高校グラウンドの浸水などの被害があり、全国56地方大会の中で最も遅い開幕となりました。豪雨の翌日、7月7日にマツダスタジアム(広島市南区)で予定していた開会式は中止され、17日に県北の三次市の球場で開会式が行われました。出場全88チームは集まらず、第1試合に出る2校の選手だけが整列し追悼の半旗が掲げられる中で、黙祷を捧げたあとに選手宣誓がありました。災害で友を亡くした安芸南高校の主将の選手宣誓をご紹介します。(朝日新聞デジタル)
今日、ここに大会が開会されること、野球ができることに感謝します。
7月6日、記録的な豪雨が西日本を襲いました。多くの命が失われ、今も被災されている方々もいます。亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
私の地元は(広島市安芸区)矢野です。7日の朝、私が見た景色、矢野が矢野でなくなったように感じました。とにかく行動せずにはいられませんでした。その中でどうにもならない無力感も感じました。今なお困難な状況にある仲間もいると思います。
しかし、私たち一人ひとりにとって、選手権大会は、一回きりのかけがえのないものです。どんな状況も克服し、それを乗り越えて挑戦します。それが野球だから。
その積み重ねが100回目を迎えました。今回は、私たちの成長、私たちの闘う姿を見てもらう大会です。被災された方々に勇気と力を与えられるように全力でプレーします。
家族、指導者、チームメート、私たちを支えてくれた全ての人々への感謝を胸に、がむしゃらにプレーすることを誓います。
平成30年7月17日 広島県立安芸南高等学校野球部主将 田代統惟
■自然災害は、時も、場所も、ひとも選ばない7月6日、記録的な豪雨が西日本を襲いました。多くの命が失われ、今も被災されている方々もいます。亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
私の地元は(広島市安芸区)矢野です。7日の朝、私が見た景色、矢野が矢野でなくなったように感じました。とにかく行動せずにはいられませんでした。その中でどうにもならない無力感も感じました。今なお困難な状況にある仲間もいると思います。
しかし、私たち一人ひとりにとって、選手権大会は、一回きりのかけがえのないものです。どんな状況も克服し、それを乗り越えて挑戦します。それが野球だから。
その積み重ねが100回目を迎えました。今回は、私たちの成長、私たちの闘う姿を見てもらう大会です。被災された方々に勇気と力を与えられるように全力でプレーします。
家族、指導者、チームメート、私たちを支えてくれた全ての人々への感謝を胸に、がむしゃらにプレーすることを誓います。
平成30年7月17日 広島県立安芸南高等学校野球部主将 田代統惟
■災害に対しては「正常性バイアス」は意味を持たない
このたびの豪雨について、多くの人が異口同音に言います。「こんな大雨、今まで長く生きてきたけど見たことがない」「まさか、ここでこんな災害が起きようとは…」「何十年に一度の災害だ」と。そう、たしかに「何十年に一度の災害」でしょう。
しかし、「何十年に一度の災害」というときに間違ってはいけないのは、「今年災害が起きたので、あと何十年は大丈夫だろう」という思い込みです。
今回の災害の原因としてよく耳にするのは、「地球温暖化による気候の変化」「ライフスタイルの変化による環境変化」です。後者については、山間部を切開いた宅地造成、植林による森林環境の変化、農業離れによるため池の放置などです。前者と後者が複合的に影響し合い、河川の増水、土砂崩れにつながったというのです。これらのことが要因であるなら、日本全国どこで、いつ起きてもおかしくない災害ということになります。また、「何十年に一度の災害」が、毎年起きないとも限らないことになります。
「正常性バイアス」とは、社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性です。自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となることを言います。(ウィキペディア)
この作用は、予期せぬ変化や新しい出来事に心が過剰に反応して疲弊しないために必要な働きでもあるのですが、今回被害に遭われた方の多くの原因として、この「逃げ遅れ」が指摘されています。
日本を襲う自然災害は近年、その威力が増しています。今回の災害は、地震でもなく、台風でもなく、大雨でした。「大雨」と聞いただけでは、甚大な被害は予想できにくいものです。体育館の床に雑魚寝を強いられるような居心地の悪い避難所には、なるべく行きたくないというのがホンネだと思いますが(避難所のあり方を考えるのも、この国の課題でしょう)、逃げ遅れは、命の問題に直結することを今回の被害が語っています。
幼い命、夢を抱いた高校生、職務を全うした若い警察官、地域に親しまれたお年寄り、長年住み慣れた故郷と終の住処、、、地方ニュースでは連日、遺体が見つかったという辛い報道を目にします。失ったものの大きさは計り知れません。
JRや幹線道路も全面復旧にはほど遠く、慢性的な渋滞や、水道、電気、ガスといったライフラインにも事欠く生活に不自由を強いられている方も多くいます。
「平成の終わりの大変化の始まり」だという専門家もいます。私たちはせめて学び、備えましょう。万一のときのための最低限の物資と、災害に対する心構え、そして情報を。愛する人達と、愛する郷土のため、自分自身のためにも。それが今回失ったものに対する、今できる唯一の報いかと思うのですが、いかがでしょうか。