F&Aレポート

F&Aレポート 2018年3月30日号     Presented by Aquarius Intelligence Institute Inc.

「君たちはどう生きるか」〜貧乏ということについて 2

80年前に書かれた児童書でありながら、100万部を突破するベストセラーとなっている「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)は、物語の主人公である中学2年生の「コペル君」の悩みや発見に、叔父さんが意見をし、アドバイスを送ります。一冊のノートに綴られた二人の考え方や生き方が、今を生きる大人たちに勇気と感動を与え、新たなものの見方や捉え方を示唆してくれます。前回に続いて、叔父さんの手記をご紹介します。

 人間として、自尊心を傷つけられるほど厭な思いのすることはない。貧しい暮らしをしている人々は、その厭な思いを嘗めさせられることが多いのだから、傷つきやすい自尊心を心なく傷つけるようなことは、決してしてはいけない。

 そりゃあ、理屈をいえば、貧乏だからといって、何も引け目を感じなくてもいいはずだ。人間の本当の値打ちは、いうまでもなく、その人の着物や住居や食物にあるわけじゃない。どんなに立派な着物を着、豪勢な邸に住んでみたところで、馬鹿な奴は馬鹿な奴、下等な人間は下等な人間で、人間としての値打ちがそのためにあがりはしないし、高潔な心をもち、立派な見識を持っている人なら、たとえ貧乏していたってやっぱり尊敬すべき偉い人だ。だから、自分の人間としての値打ちに本当の自信を持っている人だったら、境遇がちゃっとやそっとどうなっても、ちゃんと落ち着いて生きていられるはずなんだ。

 僕たちも、人間であるからには、たとえ貧しくともそのために自分をつまらない人間と考えたりしないように、……また、たとえ豊かな暮らしをしたからといって、それで自分を何か偉いもののように考えたりしないように、いつでも、自分の人間としての値打ちにしっかりと目をつけて生きてゆかなければいけない。

 貧しいことに引け目を感じるようなうちは、まだまだ人間としてダメなんだ。

 少なくとも、コペル君、君が貧しい人々と同じ境遇に立ち、貧乏の辛さ苦しさを嘗めつくし、その上でなお自信を失わず、堂々と世の中に立ってゆける日までは、君には決してそんな資格がないのだよ。もしも君が、うちの暮らしのいいことを多少とも誇る気になったり、貧しい人々を見下げるような心を起こしたら、それこそ君は、心ある人からは冷笑される人間になってしまうのだ。人間として肝心なことのわからない人間、その意味で憐れむべき馬鹿者になってしまうのだ。(中略)

 ……考えてみたまえ。世の中の人が生きてゆくために必要なものは、どれ一つとして、人間の労働の産物でないものはないじゃあないか。

 いや、学芸だの、芸術だのという高尚な仕事だって、そのために必要なものは、やはり、すべてあの人々(貧しい人々)が額に汗を出して作りだしたものなのだ。

 あの人々のあの労働なしには、文明もなければ、世の中の進歩もありはしないのだ。

 ところで、君自身はどうだろう。君自身は何をつくり出しているだろう。世の中からいろいろなものを受け取ってはいるが、逆に世の中に何を与えているかしら。

 改めて考えるまでもなく、君は使う一方で、まだなんにも作り出してはいない。

毎日三度の食事、お菓子、勉強に使う鉛筆、インキ、ペン、紙類、……まだ中学生の君だけれど、毎日、ずいぶんたくさんのものを消費して生きている。むろん消費するのが悪いということはない。しかし、自分が消費するものよりも、もっと多くのものを生産して世の中に送り出している人と、何も生産しないで、ただ消費ばかりしている人間と、どっちが立派な人間か、どっちが大切な人間か。

 生み出してくれる人がなかったら、それを味わったり、楽しんだりして消費することはできやしない。生み出す働き方こそ、人間を人間らしくしてくれるのだ。

 これは、何も、食物とか衣服とかという品物ばかりのことではない。学問の世界だって、芸術の世界だって、生み出してゆく人は、それを受け取る人々より、はるかに肝心な人なんだ。だから君は、生産する人と消費する人という、この区別の一点を、今後、決して見落とさないようにしてゆきたまえ。

 君たちはまだ中学生で、世の中に立つ前の準備中の人なのだから、今のところ、それでちっとも構やしないんだ。ただ、君たちは目下消費専門家なんだから、その分際だけは守らなくてはいけない。浦川君が、立派にうちの稼業に一役受け持ち、嫌な顔をしないで働いていることに対して、つつましい尊敬をもつのが本当なんだ。