F&Aレポート

F&Aレポート 2016年8月30日号     Presented by Aquarius Intelligence Institute Inc.

落語でわかる「"言葉の乱れ"の背景」

 今さら「言葉の乱れ」を問うたところで…という気持ちもわかりますが、最近よく耳にするジェンダー・ハラスメントとは、男女の性差による役割分担意識によるいじめです。男も女も平等ですが、言葉には男女のちがいがあります。春風亭小朝さんが「言葉の乱れ」の背景を、隠居と八ッつぁんの落語にされたものをご紹介します。

隠居
「なんだい八ッつぁん、私に聞きたいことってぇのは」
八ッつぁん
「いえね、いつの頃からか美しい言葉を話す日本人がへっちまったような気がするんですけど、どうしてなんですかね」
隠居
「なるほど、確かにそうだ。美しい言葉というのは人が快を感じる言葉ということだが、何かを話す時、そこには動機と背景が存在する。言葉が乱れてきているのは、ここに問題があるからじゃないかな」
八ッつぁん
「へえ。たとえばどんな問題があるんです?」
隠居
「まず、親の責任だ。人を傷つけるような言葉を平気で使う人間というのは、昔、自分も傷ついた過去がある人なんだが、親が不安を抱えて生きているとどうしても相手に対する思いやりに欠けてくる。つい子どもに汚い言葉を使ってしまったり、ストレス解消のために他人の悪口を親達が話したりする。そうなると、美しくない言葉を子どもが耳にする機会も増えるわけだ。当然、子どもは親達の言葉に影響を受けるし、言葉遣いを注意する親も少ない。これじゃあ、美しい言葉を喋りなさいと言っても無理な話だろ」
八ッつぁん
「たしかにそうだ」
隠居
「それから、今の若者は昔の日本人と違って、周りの人間達と深く付き合おうという気持ちが希薄なんだな。親類、町内、職場、そういうところで上手くコミュニケーションを図ろうと思ったら、相手が不快にならない言葉をチョイスする能力は自然についてくる。その気のない人間の言葉はどうしてもぞんざいになるものさ」
八ッつぁん
「なるほど」
隠居
「その上、悪いことに若者たちの中には相手のことはおかまいないが、自分のことは理解してもらいたいという者がたくさんいるから、自分に向けられる言葉には敏感でも、相手に対しては鈍感だ。それに、昔は一人前の大人として認めてもらうために、ある程度の言葉を知っている必要があった。ところが今はボキャブラリーの多さで尊敬されることもなければ尊敬もしないから、特別、勉強をする気にならないわけだ」
八ッつぁん
「ははぁ、そうかもしれませんね。“案山子(かかし)”を“あんざんこ”って読んで恥ずかしいと思う若者はいないでしょうからね」
隠居
「そうだよ。まともな大人なら耳まで赤くなる」
八ッつぁん
「そうかぁ」
隠居
「基礎体力の低下も問題だなぁ」
八ッつぁん
「なんですか、それ」
隠居
「体力がない。人とじっくり話すためには思いのほか、体力がいる」
八ッつぁん
「たしかにそうだ。あっしもね、疲れてくると言葉がぞんざいになりますからね」
隠居
「言葉に味わいがなくなって記号のようになってきていることと、体力は無関係じゃないわけだ。それにもう一つ、重大な問題がある」
八ッつぁん
「なんですか、それは」
隠居
「感性の変化だよ。今の若者はなんでもマヨネーズやケチャップをかけるだろう?」
八ッつぁん
「そうそう、あれじゃ素材の味はわかりませんね」
隠居
「そこだよ。生まれたときから西洋文化に囲まれて育ってきた子供達に、日本人特有のものの感じ方ができるかどうか。大人達がいくら、これが日本の美しい言葉だと言ったところで相手がそう感じなければ仕方がないわけだから。」
八ッつぁん
「そうか。じゃあどうすればいいんですか」
隠居
「大人達が、どこまで本気で言葉の問題に取り組む気があるのかということだ。もっともらしいことをいくら言ったって、腹の内ではそこそこ通じればいいやぐらいに思っている政治家や文化人、先生や親がたくさんいるうちはお先、真っ暗だな」