F&Aレポート

F&Aレポート 2015年10月10日号     Presented by Aquarius Intelligence Institute Inc.

あなたは日本語ペラペラですか10 〜心に響く挨拶文

 休業する和菓子の老舗「虎屋」の挨拶文が、ネット上で「素晴らしすぎる」「泣ける」と話題になっています。今回は、これぞ老舗の誉れともいえる虎屋十七代 黒川光博社長のメッセージをご紹介しながら <心に響く挨拶文>について考えてみたいと思います。

十七代 黒川光博より 赤坂本店をご愛顧くださったみなさまへ
赤坂本店、および虎屋菓寮 赤坂本店は、10月7日をもって休業いたします。室町時代後期に京都で創業し、御所御用を勤めてきた虎屋は、明治2年(1869)、東京という全く新しい土地で仕事を始める決断をしました。赤坂の地に初めて店を構えたのは明治12年(1879)。明治28年 (1895)には現在東京工場がある地に移り、製造所と店舗を設けました。

昭和7年(1932)に青山通りで新築した店舗は城郭を思わせるデザインでしたが、昭和39年(1964)、東京オリンピック開催に伴う道路拡張工事のため、斜向かいにあたる現在地へ移転いたしました。「行灯 (あんどん)」をビルのモチーフとし、それを灯すように建物全体をライトアップしていた時期もありました。周囲にはまだ高いビルが少なかった時代で、当時 大学生だった私は、赤坂の地にぽっと現れた大きな灯りに心をはずませたことを思い出します。

この店でお客様をお迎えした51年のあいだ、多くの素晴らしい出逢いに恵まれました。三日にあげずご来店くださり、きまってお汁粉を召し上がる男性のお客様。毎朝お母さまとご一緒に小形羊羹を1つお買い求めくださっていた、当時幼稚園生でいらしたお客様。ある時おひとりでお見えになったので、心配になった店員が外へ出てみると、お母さまがこっそり隠れて見守っていらっしゃったということもありました。車椅子でご来店くださっていた、100歳になられる女性のお客様。入院生活に入られてからはご家族が生菓子や干菓子をお買い求めくださいました。お食事ができなくなられてからも、弊社の干菓子をくずしながらお召し上がりになったと伺っています。このようにお客様とともに過ごさせて頂いた時間をここに書き尽くすことは到底できませんが、おひとりおひとりのお姿は、強く私たちの心に焼き付いています。

3年後にできる新しいビルは、ゆっくりお過ごしになる方、お急ぎの方、外国の方などあらゆるお客様にとって、さらにお使い頂きやすいものとなるよう考えています。新たな店でもたくさんの方々との出逢いを楽しみにしつつ、これまでのご愛顧に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

虎屋17代 代表取締役社長 黒川光博
<心に響く挨拶文>
 赤坂本店の歴史を語りながら、店舗は単に「モノを売る場所」ではなく、「お客様との出逢いの場であり、数々のドラマが生まれた場所」であることを感じさせてくれる挨拶文です。同時にそれは、日本の歴史と重なりあって、黒川社長の人生そのものであったと言ってもいいほどの、思い入れの深い店舗であることが伺えます。

 <心に響く挨拶文>とは、「視角で文字を捉えていながら、耳から書き手の声が聞こえるような文」または、「書き手の姿が脳裏に浮かぶような言葉の羅列」ということなのかと、あらためて考えさせられる挨拶文ではないでしょうか。

 では、どうすれば「心に響く挨拶文」が書けるのでしょうか。「心(思い)があれば誰でも書ける」というものではありません。僭越ながら、推察した限りでは下記の通りです。

1.挨拶文を書くということに真摯に向き合う(秘書に任せて、ハイOKということではない)
2.もちろん、そこに伝えたいという強い思いや感謝の気持ちがある
3.基本的な「書く」技術がある(主語と述語がねじれていないなど)
4.恐らく、日頃から感謝の気持ちを、言葉や文章で表現することが習慣となっている
5.日頃から感謝の気持ちで人、モノに関わっている

 最近はなんでもマニュアルがあり、安易にそれが手に入ります。ネットを開けば、「挨拶文の書き方」などは、ごまんとあります。中には、瞬時に無料でカスタマイズしてくれるサイトもあります。でも、それらはたいてい文字面のソツはない代わり、無難で人間味のないありきたりのものです。人の心を惹き付け、未来を予感させる挨拶文には、学ぶべき点が多々あります。