F&Aレポート
ニッポンの10年後 1
ここに来て突然の衆議院解散、12月16日実施される総選挙によって日本は何がどう変わるのだろうか。誰かが何かを変えてくれるという幻想を抱く時代はすでに終焉を迎え、一人一人が現実を見つめ、課題を考え、意見を持つことでしか環境は変わらない。ここで10年後の日本の姿を冷静にイメージしてみるのはどうか。日経ビジネス「ニッポンの10年後」〜経済、技術、生活の"ここが伸びる"から2回にわたり特集してみたい。
1.復興から始まる10年先の「スマートニッポン」
10年後を生きる人が過去を振り返って、「どうして日本は今のようになったか」を考えるとき、最も大きな影響を及ぼした要因は、多分「東日本大震災と、そこからの復興プロセス」と答えるのではないだろうか。
今回の震災は日本が慢性的に抱えていた「人口減少」「産業流出」「エネルギー問題」「超高齢化」「政治の空洞化」「官僚の弱体化」といった様々な問題を、被災地において一気に表面化させてしまったのである。多くの人が気づきつつも「まだ正面からぶつからなくても…」とフタをしてきた問題が、目の前に突如として立ちはだかった恰好だ。日本は世界の中で「課題先進国」と言われる。その日本の中でも被災地は「課題先進地域」になった。日本の10年後をリアルなイメージを持って真剣に良くしていきたいのなら、今こそ被災地の現状を起点に問題点を洗い出し、知恵と技術を結集して日本全体のV字回復の青写真を描くしかない。
2.「クロススペシャリティー」により社会のムダをなくす
とはいえ、復興の道筋には多くの難所が待ち受ける。状況分析をすると、まずは人口は確実に減少する。加えて老齢化する。2012年時点で日本の平均年齢は45.6歳だが、2025年には49.3歳とほぼ50の大台にのる。当然、1人の若者が何人もの高齢者を支えねばならない構造になる。
これまで日本の稼ぎ頭だった製造業は国外に流出し、サービス業も新興国などに拠点を移し始める。公的な借金は膨れ上がる。電気料金は上がり、税金も上がる。一方、収入は下がり年金も減額される。政治は動けず事実上の空転を繰り返す。官僚はモラルダウンし、機能しない。これらの問題は単独の事象ではなく。複雑に絡み合って負のスパイラルを描いて落ち込んで行くのだ。
こうした現状を前に「クロススペシャリティーによる社会のスマート化」というヒントを挙げてみたい。これは、異なる専門性を持った企業や個人が、社会のスマート化という同じ目標に向かって一緒に働くことだ。同業でつるむだけでは、もはや大きな変化は起こせない。スマート化とは、ITをフル活用した「社会のムダとり」という意味である。
3.日本版「シノイキスモス」も
街づくりも、クロススペシャリティーによるスマート化によって推進する必要がある。被災地では新たな街づくりの議論が盛んに進んでいる。テーマは防災力の強化、産業の活性化、人口(住民の)増加である。
こうした課題に挑むには、行政と建設、建設業界のタッグだけでは対応できない。小売りや食品、物流といったサービス業界や製造業、IT業界などで議論して「どのようなスマートシティ」を築くのかを詰めなければならない。しかし、建設・建設業界と他業界のつながりはまだ浅い。
内閣府の試算によると、日本の社会インフラのストック(社会資本のストック)は2003年の時点で約700兆円に達した。1964年の東京オリンピックの開催前後から高度成長期などに社会インフラの整備が集中して進んだため、老朽化に伴う維持や更新の負担もこれから10〜20年の期間に一気に襲いかかる。つまり全国的につくったインフラを維持するか廃止するかの判断を次々と迫られるのだ。少なくとも企業が参加してのPPP(Publik Private Partnership=公共施設や公共サービスに民間の資金や技術などを取り入れること)の積極導入は必須と見られている。
住み慣れた場所で以前通りの仕事ができるのが最もいいのだが、すべての場合にそうできるかどうかは、今後の日本の状況を考えると分からない。話題のスマートシティーも、ある一定規模の世帯がないとシステム投資に見合った成果が出にくいと考えられている。
古代ギリシャにおいては、外敵に対応しやすくするための「集住(シノイキスモス)」が進んだという。効率の上でもコストの点でも、その日本版を検討する日がやってくるかもしれない。
4.製造業のノウハウを「社会のムダとり」に生かす
これからの苦しい時代を「クロススペシャリティーによる社会のスマート化」で乗り越えるに当たり、日本の製造業は強い味方である。
日本のものづくりでは、ムダを排除することにより製造プロセスを極力単純化してきた。不具合の発生を減らしコストを抑える。このノウハウは今でも世界一の水準にあると思って間違いない。今後、企業は様々な場面で連携し、社会の至るところでムダを省いていかねばならない。そこでは、ものづくりのノウハウが必ず生きる。今後の製造業はいわば、総合社会コンサルタントの役割を果たしていくのかもしれない。
ただし、その変革は目的ではなく手段である。ムダを省くのはいいが結果として暮らしにくい社会になるのであれば本末転倒である。(次号につづく)