F&Aレポート
きれいさはお金で買えるが、美しさは買えない 〜「置かれた場所で咲きなさい」から足元を見つめる
「置かれた場所で咲きなさい(幻冬舎)」の著者渡辺和子氏は、昭和初期の軍人で二・二六事件の犠牲者の一人、渡辺錠太郎氏の次女として生まれ、修道者として現在、ノートルダム清心学園(岡山)の理事長を務める。「置かれたところで咲いてください。結婚しても、就職しても、子育てをしても"こんなはずじゃなかった"と思うことが、次から次に出てきます。どうしても咲けないときは、無理に咲かなくてもいい。その代わり、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために」。短い言葉でも凛とした精神性が伺える一冊をご紹介したい。今年4月に発行後すぐに50万部を超える話題の書である。疲れたときの秋の夜長の読書におすすめしたい。
1.「いい出会い」は育てるもの
学生は講義後、メモを書いて毎回いろんな悩みを打ち明けてくれます。遠距離恋愛の話や、家族間のもめ事、または今の死刑制度をどう思うかなど。シスターだったら何を書いても大丈夫だという信頼から書いてくれるのでしょうが、もしかしたら、話す相手がいないのかもしれません。家でも友人関係でも表面的な会話で終わっているのではないでしょうか。「いい出会い」をしていないのかもしれません。
「いい出会い」は、自分がある程度苦労をして、出会いを育てていかないといけません。今は出会い系サイトなどいろいろあります。出会ってちょっと気に入ればすぐに深い関係になることも多いようです。いわゆる「神様がこの人と出会わせてくださった。だから、この出会いを育てていこう」というような、「出会いを育てる」という感覚が少なくなっているのではないでしょうか。与えられたチャンス、キリスト教では「摂理」という言葉を使いますが、「この方と私は出会うべくして会ったのだから、このご縁を大事にしよう」という気持ちが最近なくなっているような気がするのです。
自ら考えて、前向きに生きていくことが、いい出会いにつながるのです。
2.きれいさはお金で買えるが、美しさは買えない
東日本大震災に襲われた日本は、諸外国から被災した日本人のマナーについての賞賛を受けました。とはいうものの、一部では買い占めがあったことも事実のようです。
自由学園創立者の羽仁もと子さんは、1923年関東大震災の折りに、二人の娘さんが、お米や必需品を買っておきましょうと言ったのに対して「いいえ、家にあるものをまず使いましょう。他の家族がお米がないのに、我が家がご飯を食べているとしたら、それは不名誉なことです」と。これこそは、美しく生きようとした人の言葉であり、正しい意味で、人間の名誉ということを理解していた人の考え方でした。
名誉といえば勲章をもらうこと、高い地位を手に入れることとしか考えていない日本人がいるとすれば、その生きている姿は、決して美しいとはいえません。美しく生きるということは、お金や物とは必ずしも一致していないのです。
また、マザー・テレサが初めて日本に来られたとき、街、建物、服装のすべてが「きれい」であることに驚かれましたが、「きれいな家の中に、親子の会話、いたわり合い、微笑みがないとしたら、インドの小屋の中で仲睦まじく暮らす家族の方が豊です」と言われました。「きれいさ」はお金で買えますが、美しさは買えません。それは自分の生き方の気高さ、他人への思いやりの深さ、つまり心の輝きとして培われてゆくものなのです。心の美しさは、自分の心との戦いによってのみ得られるものなのです。
3.「置かれた場所で咲きなさい」心が和らぐ珠玉のことば
「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにするということなのです。置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。咲けない日があります。そのときは、根を下へ下へと降ろしましょう。」「現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる」「相手を生かすぬくもりのある言葉を使える自分でありたい」「"人に迷惑をかけない"からも一歩進んで"手を差し伸べる"気持ちが愛の実践につながる」「時には立ち止まって休んでもいい。再び歩き出せるかが、目標達成の分かれ道」「まず考え、次に感じ、その後に行動する」ほか